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アヤ・ソフィア大聖堂

アヤ・ソフィア大聖堂の基本情報

歴史の波に翻弄された大聖堂

大聖堂の歴史は、そのままキリスト教の歴史でもありました。
ローマ時代、少数の信者が個人宅に集まって礼拝していたキリスト教でしたが、やがてローマ帝国の国教として認められます。
その時すでに313年。
キリスト教徒たちは300年以上もの間、ひっそりと自分たちの信仰を守り続けていたのでした。
ようやく自分たちの信仰が公に認められた時、礼拝にふさわしい建物を―と求め続け、大聖堂の歴史が始まったのです。

この時期の建築様式はビザンティン建築と呼ばれています。
なお、誤解されがちですが「大聖堂」とは大きな聖堂という意味ではありません。
「司教の座る椅子」という意味のラテン語がフランス語に伝播してカテドラルとなり、それが日本語に訳されたときに大聖堂とされたのです。
こういう特別な言葉を使うほどに、キリスト教徒にとっては司教が座る場所というのは重要なものでした。

初めは技術的な問題もあり、ごく質素な大聖堂ばかりでした。
ローマ時代から引き継いだドームの技術はあったものの、まだ技術的には不安定で大きなものを作ることが出来なかったのです。
そんな時代が200年以上続き、ある時2人の天才技師が登場します。
アンテミウスとイシドロス。
建築家というよりは学者だった彼らですが、当時としては緻密な計算で巨大なドームを作る事に成功。

ビザンティン建築の典型とうたわれる建築物となり、建築の歴史を変えた建物でもあったのです。
当時のキリスト教徒たちにとっては心のよりどころであり、誇りでもあった大聖堂であったことでしょう。
しかし、歴史はそれを許しませんでした。
アヤ・ソフィアが建築されたのは現在のトルコ・イスタンブール。
建てられた当初はローマ帝国領でしたが、その国力の衰退とともに異教徒に狙われることとなります。

アヤ・ソフィア建築後の約900年後、オスマン帝国によりこの地は占領され、イスラム教のモスクとして使われることとなってしまいます。
十字架は取り外され、壁に描かれたキリスト像などは漆喰で塗りつぶされました。
イスラム教のシンボルであるミナレットが増築され、キリスト教の面影は消されてしまったのです。

しかし現在、この建物はどの宗教にも属していません。
1934年。トルコ共和国の建国者であった大統領の意向により、宗教施設ではなく博物館として生まれ変わることとなったのです。
漆喰ははがされ、中からは改めてキリスト像が表れました。
長い歴史を経て、誰もが平和への想いを馳せられる場所へと生まれ変わったのです。
アヤ・ソフィア。元来の名称はハギア・ソフィアと言い、ギリシア語で聖なる叡智を意味する言葉です。(アヤ・ソフィアはその中世の発音がそのままトルコ語に伝わったものです。)
この名の示す通り、歴史の波にもまれながらも人類の叡智を伝える建造物として、現代に残っています。

文:小椋 恵

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