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葛飾北斎

葛飾北斎のここがすごい!

有名なゴッホやセザンヌも北斎の影響を受けた

葛飾北斎は18世紀から19世紀初頭、江戸時代後期に活躍した日本を代表する浮世絵師です。
「富嶽三十六景」が代表作ですがその作品の数々は、日本のみならずヨーロッパなど海外の絵画や音楽作品に多大な影響を及ぼしました。
北斎の秀逸な点は、その作品のダイナミックさでありユーモラスなところでもあり、写実性に富んだところでもありと、多様な画風の作品を多く残しているところでしょう。存命中の作品数は、3万点以上にもなると言われています。

北斎は長命でも有名で、88歳で没していますが、その長い絵師としての生活は大変ストイックなもので、号(現在で言うところのペンネームのようなもの)を何十回と変え、絵に没頭し部屋が散らかれば何十回と引っ越しをし、食べ物や着るものにも無頓着で、とにかく絵に夢中になって生き続けた生涯でした。衣食住に頓着がないわりに長命だったのは、絵への情熱が故だったかもしれません。

19世紀以後ジャポニズムがヨーロッパで広がり始めると、北斎の「富嶽三十六景」からインスピレーションを受けた芸術家の作品が生まれるようになります。有名なゴッホやセザンヌも北斎の影響を受けた作品が残っています。大胆な構図と、日本独特の色遣いは、やや柔らかくなりがちなヨーロッパの絵画の色調に、ビビッドな明るさをもたらしたと言ってもよいでしょう。

文:有紀黎

作品紹介

北斎芸術の神髄!富嶽三十六景

葛飾北斎、と聞くと、思い出される浮世絵といえば”富嶽三十六景”という作品のシリーズの名前より、”赤富士”と呼ばれる凱風快晴、また波の絵で有名な”神奈川沖波裏”だと思います。

これらの北斎の絵は天保年間に発売されているのもので、このころ幕府の締め付けにより浮世絵師もこれまでのように多くの色を使えなくなっていました。
また、美人画などの女性をテーマにした絵も”風紀を乱す”という理由から削減の方向に。
そこで多くの浮世絵師が生き残るため風景画に転向していったのですが、北斎もその一人です。

彼のすごいのはそういった制約の中でもダイナミックな作品を次々と生み出していく所にあります。
絵の色を見ていてわかると思いますが、青が多いことに気がつきませんか?
これは色数が削減されたこと、青=藍が高いので、一般的に”ベロ藍”とよばれる輸入物の安い青を使って表現していますが、北斎はその一色でかなり多くのバリエーションを表現しています。

また、絵の構図についても気がつく点があるかと思います。
凱風快晴の線の少なさや尾州不二見原のように大きな丸の中に三角の富士が描かれています。

これは北斎の感性だけではなく、どこにどう配置したらいいかという計算のもとに描かれている、つまり、どのような構図だと美しく見せられるかを理論的に描いているということに驚きます。

絵を死ぬまで追求し続けた”画狂人・北斎”
是非今一度視点を変えて見てほしい。
北斎の本当の凄さが見えてくる作品です。

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『富獄三十六景』

文:お栄

富嶽三十六景「凱風快晴」

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葛飾北斎の凄さは、今から200年以上前の浮世絵師ですが、現代のアーティストに多大な影響を与えています。2014年の東京デザイナーズウィークでは、葛飾北斎をリスペクトしたアーティストによる作品コーナーが展示されていました。葛飾北斎の代表作品を様々な表現によって現代的にアレンジされた作品の数々は圧巻でした。中でも富嶽三十六景「凱風快晴」と「神奈川沖浪裏」 は葛飾北斎の作品として有名なものですが、これが現代アート風に表現されていた空間は圧巻のものでした。このように時代を越えて影響を与え続けている葛飾北斎ですが、人気や認知度は日本国内にとどまらず、世界中のアーティストにも影響を与え続けています。彼の残した作品はシンプルな中にも力強さがあります。最近はほとんどのアート作品がコンピュータを通して表現されますが、葛飾北斎の作品を見ていると、改めて筆などアナログなツールで表現することの大切さを実感します。そして日本人として、日本という文化を表現することがどれだけ重要なのかを考えさせられます。グローバル化により国境の壁が以前よりも薄くなっていく時代だからこそ、改めて日本文化や、北斎のような優秀な日本人のことを私達は改めて理解すべきなのかもしれません。

文:かっちゃん。

富嶽三十六景「神奈川沖波裏」および「北斎漫画」 – 北斎は時間を止めた!

浮世絵というと何か古くさいものと感じるかも知れませんが、葛飾北斎の作品をよく見てみると、その革新さに驚いてしまいます。その代表作『富嶽三十六景』は、さまざまな富士山を36枚描いた連作もので、そのなかでも大きな波が描かれている「神奈川沖波裏」は、みなさんどこかで見たことがあるかも知れません。何気なく描いてるようなこの作品ですが、右から落ちる波と左から落ちる波の落下点が合わさるところに富士山が遠くに見えます。これは明らかに北斎が意図的に計算したもので、構図の取り方が非常に優れていることが分ります。

それと驚異的なことなのですが、その落下する波の波頭は鉤型になっているのですが、実際の波も現在先端のカメラで何万分の一というシャッタースピードで写してみると、やはり鉤型になっているのです。江戸時代後期に生きた北斎が、どのようにしてこのことを知ったのか謎なのですが、彼が恐ろしいほどに自然観察をしていたことは他の作品を見ても明らかです。まさに時間を絵画として切り取ってみせた。時間を止めてみせた、という意味でも北斎は驚異的な才能の持ち主だったといえます。

しかし江戸時代、浮世絵は芸術観賞の対象というよりも、歌舞伎役者のブロマイドや旅行案内など庶民の娯楽品と考えられていたので、気楽に買えて気楽に捨てられるようなものでした。ただこのことが海を渡って思わぬ反響を呼びます。輸出用の陶磁器の梱包材として用いられていた浮世絵は、ヨーロッパなどに思わぬ形で届いたのですが、それを目にした彼の地の画家たちは、そこに描かれている内容に驚嘆したのです。

ヨーロッパの世界観と日本を含めた東洋の世界観は大きく異なっていました。ヨーロッパではキリスト教的世界観により、世界は唯一の神が創造したものであり、その支配を許された人間を中心に構成されているものであって、その価値感は人物画であれ、宗教画であれ、風景がであれ、色濃く反映されています。ところが東洋の価値感は山であっても、川であっても、花であっても、動物であっても、人間であっても等しく価値を見いだしえるもので、それは東洋の絵画、例えばそれは日本の場合、日本画や浮世絵になりますが、その価値感は絶えず根底にあるものでした。

西洋の画家たちにとっては、北斎の描いたような自然界の波をテーマにしたような作品は思いがけず衝撃的なものだったのです。北斎の描いたシリーズものに『北斎漫画』というものがあります。これは現代のマンガのようなものではなく、よろずのことを描く、つまり森羅万象のあらゆることを描いているものです。そこでは滑稽におどける人間もいれば、小さな小さな虫もいて、咲く花もあり、神仏の姿や千変万化する水の流れ、風さえも巧みに描かれています。

ヨーロッパでは北斎の作品をはじめとする浮世絵との出会いによりジャポニズムが流行しはじめ、それは多くの画家たちだけでなく工芸品にまで影響を与えていきます。例えばエミール・ガレは、ランプシェードを芸術品にまで高めた人として知られていますが、そこに装飾デザインされているトンボなどの虫たちは一体どこからきたのでしょうか。それはまぎれもなく、北斎が小さな命たちに注いだ視点からきているのです。

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『北斎漫画』

文:supersugano

葛飾北斎と同様に富士山に魅せられて

「富嶽三十六景」。日本に生まれ育った方ならば誰でも一度は目にしたことがあるでしょう。そう、浮世絵の大家、葛飾北斎の作品です。
「富嶽」とは霊峰富士山のこと。富士山に魅せられた北斎が10年にも及ぶ歳月を費やし完成させた作品です。日本の各地から見える富士山を、その街並や生活する人々と重ね合わせて描かれているものが多く残されています。

発表当時、北斎はすでに72歳と晩年期の発表であり、浮世絵師としての地位を盤石なものにしました。その功績は日本だけでなく、かの「ゴッホ」にも影響を与えたと言われています。「三十六景」と言われていますが実は46枚もの作品が残されています。

実は私が北斎に興味をもったのは「富士山」がきっかけでありました。無類の富士山好きである私は、各地から見える富士山を写真に収めていたのです。そんな折、ふと目にしたのが有名な「神奈川沖浪裏」でした。是非一度ネットで検索してみてください。必ず「ああ!見たことある」となるはずです。
絵心のない私はその絵のモチーフが富士山であることに気付かずにいました。あまりにも浪の印象が強すぎたためでしょうか。しかしその絵のモチーフが富士山だと知った時から北斎との共通点が見え、北斎を求めるようになっていきました。

『武州玉川』

「三十六景」のなかで私が個人的に愛してやまないのは「東海道品川御殿山ノ不二」や「武州玉川」です。やはりその絵には富士山が大きく描かれていて、とても爽快です。また浮世絵だけでなく肉筆画などにも卓越した才能を発揮し、私の好きな「富士越龍図」を絶筆として残してくれました。

富士山を共通項として過去の偉人と繋がれたということは私にとって無上の喜びでした。まだまだ北斎を知ったばかり。これからも追い続けたいと思っています。

文:あおい

数学的に裏付けられた美しさ

葛飾北斎は今からおよそ200年前の画家です。彼の代表作である『神奈川沖浪裏』は日本人なら一度は目にしたことがあるだと作品思います。葛飾北斎はその構図を決めるときにコンパスと定規を使いました。この作品の構図は3本の直線と19本の円弧で構成されています。対角線と円弧の交点に富士山の頂上や波頭がくるように描かれています。
北斎の絵の美しさは数学的な裏付けがあるのです。この作品の大波がせり上がっていく曲線は黄金比を使った螺旋形と一致します。黄金比は人が美しさや調和を感じる比率です。スマホの画面やアップルのロゴマークの他に、ひまわりの種の配置なども黄金比(フィボナッチ数列)によるものです。
北斎の「凱風快晴」という赤富士を描いた作品。この絵の富士山の左側の稜線がなんと指数曲線とぴったり一致するのです。サイエンスナビゲーターの桜井進さんが「雪月花の数学」という本の中でこのことに触れています。この指数曲線というのは自然現象に関係のある関数です。熱いものがだんだん冷めていく時にもこの関数が関係しています。微分して元の関数に戻る不思議な関数でもあります。
葛飾北斎は絵を描くときにこのフィボナッチ数列や指数関数を意識して描いたわけではないと思います。美しい波の形、美しい富士山の稜線を追い求めていった結果それが自然現象に関係のある関数と一致したのだと思うのです。葛飾北斎の作品の美しさが人を魅了するのには数学的な根拠があるのですね。

文:ビッケ

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『千絵の海』


『東海道金谷ノ不二』

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『山下白雨』

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『蛸と海女』

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『女浪』

基本情報

経歴

葛飾北斎は、江戸時代後期の化政文化を代表する浮世絵師で、主に風景を描いた作品で有名です。
浮世絵だけでなく、漫画や挿絵師としても活躍し、大衆的な評価も得ていました。葛飾北斎の描く浮世絵は、その当時の日本の画家たちだけでなく、西洋の印象派の画家にも多大な影響を与えました。
国境を飛び越えて世界的に活躍した革新的な画家でもありました。その当時活躍していた西洋の画家の中でも、印象派の画家、ゴッホにとりわけ大きな影響を与え、その模写作品が、今日にも残っています。
浮世絵に関しては、版画での作品が有名ですが、それ以外にも肉筆での浮世絵作品も数多く手掛けました。葛飾北斎の最も有名な作品、『富嶽三十六景』に代表されるように、風景画家として高い評価を受けています。
芸術的価値の高い浮世絵だけでなく、漫画や挿絵画家として、大衆的な文化にも革新的な作品を数多く生み出した画家でした。その当時の文化だけでなく、今日の芸術作品や、現代アートにも大きな影響を与え続ける偉大な画家であると同時に、その当時の庶民の生活を温かくも辛辣な目で見つめ、秀逸な娯楽作品、愛すべき大衆的な作品として発表し続けた素晴らしいクリエイターでもあります。

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