平山 郁夫の作品紹介
死への不安があるからこその生命賛歌『仏教伝来』
『死への不安を抱えて描いた作品』だと平山画伯は語る。
仏教伝来。
仏教の経典を求めて、ただ一人、中国からインドへと旅した僧を描いた作品。
西遊記のモデルとなった玄奘三蔵です。
玄奘三蔵の胸の内にあったのは、功名心でも野心でもなく、ただひたすらに人々の平和を願う気持ちだったといわれています。
身分制度が当然だった当時の社会において、身分に関係なく仏の教えを授かることこそが真の平和をもたらすと信じ、17年間もの旅を成し遂げた僧侶。
平山は死への不安の中で、その僧の行動に深い共感を持ち、強い情熱をもってその絵を描きました。
当時20代だった平山にあった死への不安―それは、広島で被爆した後遺症からくるものでした。
学徒動員で友人たちが働いていた工場を狙って落とされた原子爆弾。平山は奇跡的に一命をとりとめます。
しかし、自分だけが生き残ったことへの深い罪悪感は、生涯抱え続けていました。
そして平山にもまた、放射能の脅威はじわじわと迫っていたのでした。
原爆の後遺症は時間をかけてくる場合があります。平山がそうでした。
被爆して十数年もたってから、いつ白血病が発症してもおかしくない状態に陥ります。
しかし、その状態でも絵筆を離すという発想はなかったのです。
戦争が憎い。平和な世であってほしい。
平山はその思いを、やはり平和を求めて一人旅をした僧侶に重ね、一枚の絵に託しました。
日本画というにはあまりに幻想的な画風。
(おそらく、下地に工夫があるのでしょう)
省略され、デフォルメされた人物や馬。光るような画風。静と動がひしめき合うその世界。
この作品は発表時こそ、専門誌で小さく取り上げられただけでしたが、やがて人々の支持を得ます。
それまで無名の画家であった平山は、一躍人気画家となりました。
健康状態も持ち直し、富と名声を得た平山でした。
が、それまでと同じように、いえ、それ以上に情熱を込めて描き続けます。
玄奘三蔵と同じ道を旅したこともしばしば。
安全や健康上の理由から決して長居できない場所にも足を運びました。
また、三蔵と同じように砂漠で野宿したこともあったそうです。
その人生を貫いていたものは、かつて広島で見た地獄絵図であり、幼くして亡くなった友人たちへの想いであったのでしょう。
戦争への嫌悪、平和への想い、かつての友人たちへの鎮魂―すべてを託して、平山は全身全霊で描き続け、79歳の人生を駆け抜けたのでした。
文:小椋 恵
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