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横井弘三

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横井弘三のここがすごい!

思うがままに生きて、思うがままに描いた

昭和20年から40年まで、白い長いひげの不思議なおじいさんが長野市に暮らしていました。
出会った家族の顏を描いたり、新装開店の床屋さんの壁に飾る絵を突然に持って行ったり、郵便配達さんにも墨絵を毎日のようにあげて、職場の引き出しはその墨絵で開かなくなってしまうほどでした。

このおじいさん、画家 横井弘三。
大正4年の第2回二科展に出品した絵が第一回樗牛賞を受賞。
彗星のごとく洋画壇に登場し、華々しく活躍を始めます。
けれども、大正12年の関東大震災の後、被災した小学校に贈った“復興児童に贈る絵”を借りてきて11点を大きな板に張り付けた作品が二科展に拒否され、野に下り、自由に生き、自由に描く人生が始まりました。
それは、貧乏の始まりでもありましたが、温かな人々との出会いの始まりでもありました。

彼は、“日本のルソー”と呼ばれ、日本でアンデパンダン展を初めて開いた人でもあります。
本もたくさん出版して、さまざまな絵の技法も考案し、晩年は“焼絵”という彼独特の最高の表現にたどりつき、数多くの名作を遺しました。

横井弘三は、大正期の子供向け雑誌「コドモノトモ」にも、一目見たら忘れられない楽しい絵を描きました。
宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』では、挿絵、装丁を手掛け、児童文学の世界では、今なお語り継がれる美しい素晴らしい本となっています。
没後、時代の波に飲まれ、消えてしまいそうな横井弘三でしたが、昭和の奇才のアートディレクター堀内誠一さんや後に児童文学の重鎮となられた方々にも着目され、今活躍しているスズキコージさんにも大きな影響が繋がれています。

2015年、信濃美術館で大きな展覧会があり、2016年には、練馬区美術館に移動して『横井弘三の世界展』があります。思うがままに生きて、思うがままに描き続けた横井弘三は、「もっと後の時代の人に私の作品はわかる」と予言的言葉を遺しています。今なお新しい横井弘三の作品は、ため息がでるほどのびやかに見る人の中に飛び込んできます。

文:アガパンサス

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