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ジョサイア・コンドル

ジョサイア・コンドルのここがすごい!

日本を愛した建築家コンドル

「鹿鳴館」という名前は、誰もが一度は聞いた事が有るのではないでしょうか?明治の文明開化のおりに政府御用達のダンスホールであり海外からのお客様を迎える社交場であった洋館です。この建物を設計した建築家がコンドルです。

彼は1852年9月ロンドンに生まれました。父は銀行員でしたが、彼は父と同じ金融の道には進まず、父の従兄弟の設計事務所で働きはじめました。若くして才能を発揮した彼はアーキテクチュラル・アソシエーションのメンバーとしてレクチャーしたり、大学でも講師として教鞭をとったり、設計コンペにもゴシック風カントリーハウスで応募し1位のゾーン賞を受賞しています。

建築学の理論と実践を学んできた彼だからこそ日本から声が掛かったと思われます。この時、彼は若干24歳の若者でした。

明治政府によばれて来日した外国人教師は沢山いましたが、任期が終わると殆どの人が母国に帰っていきました。しかしコンドルが任期を終えても日本に留まったのは、彼が日本の芸術を愛していたからと言われています。

日本で生活し日本の芸術に触れ、彼は河鍋暁斎の弟子となり、その後一緒にスケッチ旅行に行くほどの関係になっています。絵画だけではありません。生け花や衣装の勉強をしたり歌舞伎などの芸能にも詳しかったようです。何といっても、妻に選んだ女性は日本人の「くめ」さんでしたし、その妻と共に、今も日本の地に眠っています。

日本での生活の中で色々な人たちと出会い数多くの建築設計をしました。たとえば、みんなが知っている丸の内の三菱一号館から三号館までは彼の設計です。岩崎弥太郎との出会いは大きかったと思います。岩崎弥之助邸の設計にも加わり実に魅力的な建物を造っています。弥太郎の子息である久弥の邸宅に至ってはコンドルの大好きなイスラム風モチーフとルネッサンス様式がちりばめられ、加えて英国王室御用達のミントンのタイルを使用しています。壁紙には鹿鳴館で使用した金唐革紙を用いるなど華麗な邸宅となっています。

ひとつ、残念な事が有るとすれば鹿鳴館が移築されず解体されてしまい、今はもう観る事ができない事でしょうか。しかし、彼の造った岩崎邸は今も薔薇に囲まれ凛として建っていて私たちにも観る事ができます。

文:ブルーベリー

ジョサイアコンドル設計の国内物件の中では人気の高いニコライ堂


江戸明治大正の日本国内の建築ラッシュ期の物件には、国の重要文化財として指定されているものも数多くありますが、中には招聘された外国人技術者の作品が数多く存在しています。

この中でも、東京復活大聖堂(ニコライ堂)は東京大学工学部のその後の著名教授や国内著名建築家を指導してきた人としても知られる日本の近代建築の父、英国人のジョサイアコンドルの作品です。

意外なことにこの先生、良く知られている建築物のみならず、絵画やステンドグラス、そして日本美術評論などの実に幅広い、建築以外の素養にも優れています。そのため「計算と構造だけから形作られる建築設計」や「手を抜いた建築資材費や大規模な人工を使った建築オペレーション目当て」といった物件とは全く異なる幅広い教養を土台とした、それぞれの用途や利用者の文化のバックボーン、素材などに配慮した、とても細かな配慮に満ちた建築物ばかりを多く作り続けてきています。

だからこその「百数十年だけれど、多数の重要文化財指定」になっているわけですが、このニコライ堂に関しては、ミハイル・シチュールポフの原案を「設計し直したことで、その持ち味を損なわせることない、細部を生かした形状化」が図られています。

現在日本でも、競技場や新たな大型建造物各種を「創る」といいながら、元のソースのカラーを大きく排してしまったデザインや構造、機能なのに多額の資金要求などの物件があまりに多いわけですが、こういった先生の設計に取り組む際の姿勢そのものを、背中から学んでほしいとは思います。

文:AIU

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