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アンリ・マティス

アンリ・マティスのここがすごい!

マティスと野獣派運動

アンリ・マティスは20世紀のフランスの画家です、「色彩の魔術師」といった呼び名があるほど色鮮やかでのびのびした色を使います。
はじめは写実的な絵を描きましたがゴッホなどの影響を受け始め、自己の色を構築したと聞きます。

『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』から読み取れるような額から鼻にかけての緑色はマティスの個性であり象徴であり、こういった独特の色彩論が後の野獣派、つまりフォービスムに関連していきます。

フォービスムは色の単純化、つまり単色の力強さや画面の簡略化を主義とした画風のことで檻の中に野獣が居るような力強さがあるということから名付けられました。
チューブそのままに色を塗ったようなインパクトが特徴です。

野獣派はマティスがリーダーでその運動にあたり、当時の展覧会ではある種幼児的で暴力的なその展示達に大変衝撃を受けたといいます。
ある人は「なんて力強さなんだ!」と褒め称え、ある人はその幼稚さに「子供が泣いている」と表現したそうで、賛否両論ぶりは絵画史上稀に見るほどです。

革命と言っても良いレベルでの斬新な運動でしたが、運動自体は長く続かず、マティスも体力の衰えから切り絵に舞台を移していきました。
しかしながら色を追い求める一つの姿勢として美術界に歴史を残している事から批判が多くてもその精神は正しい物であったと思います。

文:みみみみみ

アンリ・マチスのセンスは、デザイナー。

20世紀前半を代表する画家であるアンリ・マチスのセンスは、今でいうデザイナーとしてのセンスです。
それも平面のグラフィックデザインというより、ファッションデザイナーのセンスに近い感じです。
使っている色の調和やモチーフの絶妙な配置など、現代から見た方が理解しやすいと思う程クリエイティブです。

元来法律を学んでいたマチスが、病気療養中に母から渡された絵の具や同じく母の仕事(雑貨屋のペンキの調合や相談)から影響を受けていたことは興味深い事実です。
特に植物や小動物を好んだことは、題材にそれらを取り上げた時の作品を見ると胸に強く伝わってくるためよくわかります。
野獣派と呼ばれるのを嫌ったと記録に残されていますが、彼の作品を当時の人達がそのようにしか理解しなかったからだと言えます。

晩年の作品である切り絵のジャズは有名な一連で、随分と多作です。
ピカソの陶器作品も同様ですが、同じ時代に現れた天才と呼ぶにふさわしいこれらの人達が、製作に手が追いつかないほど、溢れる創造のインスピレーションを受けていたようで、うらやましい限りです。

今でも現代に活躍する多くのデザイナーが影響を受けており、やってみたい配色、表現してみたいフォルム(形)の典型となっていることはまちがいありません。

文:maruchan

アンリ・マティスの作品紹介

色彩を解き放たった画家『赤い食卓・赤い調和』

アンリ・マティスは1800年代後半から1900年代にかけて、フランスで活躍した画家です。
彼の作風はフォービズム(野獣派)と呼ばれ、印象派同様に最初は嘲笑の的でしかありませんでした。
ここで取り上げた作品を見れば、理解されにくいのも分かるかと思います。
全く奥行のない室内。生命感はおろか陰影さえ無い人物。
人物だけではなく、テーブルの上に置かれた果物や果物入れなどにも、個体が落とす影は一切見当たりません。
そもそも、タイトルを見なければこれが室内の風景を描いたものだと分かる人さえ少ないでしょう。
壁もテーブルも全く同じ色に塗られており(たとえ同じ色でも、遠くにあるテーブルは色彩遠近法にのっとり、少し薄い色で塗られるのが従来の絵画の常識です。)よく見ると見えてくるわずかな輪郭線のみが壁とテーブルの境目を暗示しています。
マティスがその気になれば伝統的な遠近法を使いこなせる画家であることは、初期の作品を見ればよく分かります。
ではなぜ、マティスはあえてこのように平坦な画面の絵を描いたのでしょうか。
マティスが活躍した時代のパリは、アカデミックな美術よりもより新しい表現を求めた時代でした。
それは先輩である印象派の画家たちが切り開いた道を受け、さらに発展させてゆこうとした動きでもあったのです。
そんな中、後期印象派の1人であるゴッホの強烈な色彩に影響を受けた一派がいました。
それがフォービズムです。
「色彩にはそのものに力がある。」という考えの元、強い色彩でそれぞれの内面を表現しようとしたフォービズム。
その中でも特に優れた作品を残したのがマティスだったのです。
そんな彼らに影響を与えたゴッホもまた、色彩の力を信じた画家でした。
狂気を内に秘めたゴッホ(精神病院に入院後、若くして自殺しています。)は「人間の恐ろしい情念を、色彩で表現したい」と書簡に書き残しています。
しかしゴッホですら、個体の持つ色彩からは自由になれませんでした。
黄色で表現したいものがあるならば、ひまわりをモチーフとし、暗い青や群青色で表現したいものがあるのならば夜空を描きました。
マティスはその個体の持つ色彩からさえ自由になり、画面に赤が欲しければ、モチーフに関係なく赤を塗っていきます。
この作品でも、描きたかったのは室内の風景ではなく、もう一つのタイトルである「赤い調和」であったのでした。
赤い調和を描くためには、遠近感は邪魔となります。
もちろん、個体の持つ立体感も。
ただひたすら、赤という色彩の可能性を求め、その赤を引き立てるために他のモチーフを配置した―
それが、この作品だったのです。

フォービズムという流派は非常に短命に終わります。
この時代に生まれた流派のほとんどが短命でした。
それは、アカデミックな絵画から羽ばたこうと多くの画家が試行錯誤をしたことを意味するのでしょう。
そして遠近や立体を無視して色彩の調和を重視するマティスの作風は、やがて抽象絵画へと引き継がれていくのです。
なおマティスをはじめとしたフォービズムの画家たちのほとんどが、印象派同様に少しずつ世間に受け入れられ、画家として幸福な人生を送ったようです。
悲劇の人生を送ったのはゴッホだけだったというのは、なんとも皮肉な気もします。

文:小椋 恵

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