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フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ

フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワのここがすごい!

ロマン主義の先駆者として名声を得た画家ドラクロワ

1800年代初頭は新古典主義が出てきたばかりの時代です。新古典主義はどちらかというとかなりギリシャ美術寄りのお堅い雰囲気の絵を好む流派でした。個々の自由な想像力を重視するのではなく、様式に拘り簡単な言葉で言うときっちりとした写実的な絵を好む主義でした。
これに対抗して出てきたのがドラクロワ属するロマン主義です。彼らは感情表現を絵に持ち込むことを厭わず、ダイナミックな構図を好み、色彩も色鮮やかなものでした。日本人にとって一番親しみ易い絵と言えば、「民衆を導く自由の女神」ではないでしょうか。絵の中央にフランス国旗を掲げた女神が人々を導いているその大胆な絵は、美術に詳しくない人でも見たことあるある!の絵画だと思います。
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そんなロマン主義を引っ張っていったドラクロワを高く評価していた詩人がいることをご存じでしょうか。象徴主義の起源とも呼ばれる「悪の華」の詩人シャルル・ボードレールです。彼はドラクロワの作品を現代最高の画家だと断言し、沢山の批評やら随筆を残しています。ボードレールの言葉が当時どのくらい人々の心を掴んだかは定かではありませんが、時代の流れを作ったのは間違いないでしょう。

当時のフランスは産業革命を迎えサロンが栄えていた時代であり、ブルジョワジー(中産市民階級)が力を持ってきた時代でした。文学界、美術界等の各分野のアーティストが意外な繋がりを持っている時代でもあります。蛇足でお話しするならば、ドラクロワの知り合いであるジョルジュ・サンドは女性作家であり、ボードレールとも繋がりがあったりします。世間って狭いね、と言われてしまいそうな時代ですね。

文:Yuina Yamakawa

ウジェーヌ・ドラクロワ「オフィーリアの死」のここがすごい!

ドラマチックに描かれたオフィーリアの運命

シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の悲劇のヒロイン 「オフィーリア」は19世紀の画家を惹き付けたテーマでした。

ロマン派の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワもオフィーリアを題材にした作品 「オフィーリアの死」 を残しています。
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ハムレットに失恋し、狂気の中で水に落ち、生命の危機に気づかぬまま死んでしまうオフィーリア。

ところが、ドラクロワのオフィーリアは自分が死にかけていることに気づき、水面にかかる枝を必死でつかんでいます。しかし、右手以外はもう力を失っています。生命力があふれる右手と瀕死の全身、対照的なようすが印象的です。生きたいという思いと死にゆく運命が際立ち、見ている私たちの心を揺さぶります。そして、 スポットライトのようにオフィーリアを照らす光が、場面をいっそうドラマチックに演出しています。

ドラクロワは1798年フランスに生まれました。当時の主流だった新古典主義的表現とは相反する劇的で躍動的な作品「ダンテの小舟」でサロンに初入選。賛否両論を浴びつつも、「民衆を率いる自由の女神」などの作品を次々と発表し、ロマン派の先駆者であり、代表する画家となりました。

そんなドラクロワだからこそ描けた原作以上に悲劇的で叙情的なオフィーリア。原作との違い、ほかのオフィーリアとの違いを楽しんでみてください。

文:sophia

フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワの作品紹介

ドラクロワの舞台

『サルダナパールの死』

ドラクロワの作品の中で、「サルダナパールの死」という作品がとてつもなく大好きです。
ドラクロワは悲劇的な絵や流血のある表現が多く描かれ有名だとは思います。例えば、「民衆を導く自由の女神」やリュクサンブール宮の図書室天井画は知っていたり、見たことあるという人が多いでしょう。
「サルダナパールの死」も、もしかしたらどこかで見たかもしれないでしょう。

ドラクロワの絵は背景と人を使って画面をドラマチックに演出するのが上手いと思います。
「民衆を導く自由の女神」では、女神の背景の雲はワントーン明るく、女神の服も明るい色と肌の色を強調させています。こうすると、自然と女神の方に目が向きます。

これと同じように、「サルダナパールの死」でも真ん中に寝転ぶサルダナパールという王様に目が運ばれます。
それも、鮮やかで真っ赤なベッドに光の当たって白く眩しい周りの女性が自然と視線を作っています。
この絵は、王様であるサルダナパールの最期を描いた作品です。その中で侍女や愛妾を目の前で殺害されてゆく残虐な場面が描かれています。

話を聞くとえっ? と驚く内容ですが、この絵は残虐さよりも美しさの方が前に出てきていると思います。
女性の肌の色も、真っ赤なベッドも、兵士でさえ、みな鮮やかに輝いてます。ずっと見続けていられる、宝石箱のようなこの絵は、私の一番大好きな絵です。

文:たきぎ

ドラクロワとオリエンタリズム

ウジェーヌ・ドラクロワは、ロマン主義の画家として知られているフランスの画家です。彼の代表作である、「民衆を導く自由の女神」(1830年)を見たことがある方もいるかもしれません。

ドラマチックなこの絵は、描かれた人物たちから「勝利」というテーマを見て取れます。自由の女神がフランスの国旗を高く掲げているのが印象的な絵です。ドラクロワの作品は一貫して豊かな色彩感覚と描写力によって支えられていました。
自身の出身国フランスを力強く描くドラクロアという印象を受けますが、実は彼は他国の文化にも惹かれ、絵として残していたのです。
19世紀のヨーロッパでは、オリエンタリズムが流行していました。その中で、絵の世界も東洋風な物に影響されました。ドラクロア自身、国外に出向き自身の目で「オリエンタリズム」というものを確認しようとしました。

『アルジェの女たち』

彼が1834年に描いた「アルジェの女たち」は、このジャンルにチャレンジした彼の代表作として知られています。この絵の中では、フランスとは違う服装の女性たちが座っているところが描かれています。日常の何気ない瞬間を描写しているような一枚ですが、部屋のインテリアなどからも、描かれているのが違う文化に属する人たちの生活を描いているのが見て取れます。

オリエンタリズムに惹かれたドラクロア。この絵の中にもドラマチックに、そして大胆に絵を描きたいと望んだ画家の一面が見えるように感じます。

文:ラブリー

ドラクロワ「キオス島の虐殺」はリアルな画風でその悲惨さが伝わる絵画です。

『キオス島の虐殺』
『キオス島の虐殺』

ウジェーヌ・ドラクロワの「キオス島の虐殺」は、実際にあった事件をモデルに描いている作品です。死んで冷たくなっていると思われる母親に寄り添う子ども、空を見上げる女性、その残酷極まりない光景に呆然とするギリシア兵、そしてトルコ兵の残酷さがこれでもかという程伝わってくる傑作です。ニュースと言えば文字だけだった当時、この絵画はヨーロッパ中に知られる事になりました。現在はパリのルーブル美術館で見る事ができます。

このキオス島の虐殺は、当時オスマン帝国が支配していたギリシアのキオス島で、トルコ兵が独立派を虐殺した事件の事を言います。そしてキオス島の虐殺は、ギリシャ独立戦争のほんの一部です。このギリシャ独立戦争は1814年から1833年までの約20年間続く事になります。このギリシャ独立戦争をテーマにした絵画は「キオス島の虐殺」以外にも多く残されています。

この独立戦争の結末ですが、この絵画の影響はもちろん、ヨーロッパ諸国の協力で1833年にギリシアは独立に成功します。もし、自分が当時この絵画を一市民として見ていた立場だったら、非常にショックを受け、そして独立を願わずにはいられなかっただろうと思います。当時のヨーロッパの人々もきっと同じような感想を持っただろうなと思いました。

文:るるるるん

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