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レンブラント・ファン・レイン

レンブラント・ファン・レインのここがすごい!

光と影の画家レンブラント、その宗教とドラマ、天才

有名な画家レンブラント、彼の名を知らなくても「夜警」を描いたひと、といえば「ああ…」となる方もおられると思います。
彼は徹底的なリアリズムと心理描写で知られています。

レンブラントは「うそ」をいかに真理をもって描き上げるか、ということに心血を注いだ画家です。

劇的に劇的に描写するために、光のあたっているところは緻密に明るく、影の部分は暗く…というよりほぼ真っ黒と言っていい。
ほとんどすべてそう描いてありますが、私がひとつあげるとすれば「ホメロスの胸像をじっと見つめるアリストテレス」。

この絵ははっきり言って墨のようです。アリストテレスには斜めに光がぼんやりあたっているだけだし、胸像にいたってはあまりきちんと描かれていない。

しかしその浮かび上がるアリストテレスのまなざしの精神性、これは「アリストテレスだ」と納得させてしまうのです。

かぶっている帽子、着ている装束、アリストテレスの時代のものではない。しかしこれはアリストテレスなのです。

そしてつけくわえると、影の部分は「真っ黒」と言いましたがよく見ると微妙に細かく描きこまれています。

ニュアンスを出すために。そこも現実とドラマ、ドラマと現実の境目を薄くする役を買っています。

そして私は、レンブラントを真に知るにはエッチングを見なくてはいけない、と考えます。

「ファウスト」「ラザロの蘇生」黒白で表現してありますが、色彩を心で感じてしまうのです。

本当の光と影だけで、小説の、聖書のシーンを全身で受け止めることができます。レンブラントの宗教とは絵画であった…のではないか、と私は思うのです。

文:三洞珠子

光と影を巧みに使い対象の人間的な内面を描き出す画家

レンブラントは、オランダの画家でバロックを代表する存在の一人です。肖像画や宗教画に多くの作品を残し、その中でも代表的な作品に『エマオの晩餐』があります。
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これは、イエスの弟子二人が、偶然晩餐を共にした男が、二人にパンを分け与えたことから主イエスであることに気づく場面を絵画にしたものです。
レンブラントは「光の魔術師」と呼ばれ、光と影を巧みに使い、まるでほの暗い中でうっすらとライトがあたったかのような色彩の作品で知られていますが、その光と影の技術はこの、『エマオの晩餐』でも巧みに表現されています。
イエスを失った悲しみにくれる弟子たちが、目の前にいる男がまさに主イエスであると気づくその驚きと、弟子にパンを分け与える人間的な優しさや温かみのある一面を見せるイエスの表情が、ほの暗い室内の中で浮かび上がり、そこだけ柔らかい光に包まれているかのようです。
神々しく威厳のある存在としてではなく、神聖な中にもあたたかい人間的な表情を見せるイエスを描いたこの作品は、当時の宗教画としてはとても独創的なものでした。
レンブラントの他作品にも、このような質感の光と影の使い方で描かれた作品は数点あり、そのどれもがモチーフの神聖さと人間的な内面性を見事に表現したものばかりです。

文:あやぱみゅ

「何をもって美しいとするか」

レンブラント・ファン・レインといえば、オランダ絵画の巨匠のひとり。
とはいえ日本では、同時期の画家であるフェルメールの方が人気だそうですが、「写実的な絵が好き」「リアルな絵をやりたい」ならば、見て満足する・お手本になるのはレンブラント作品だと思います。

レンブラント作品といえば生々しいと感じるほどのリアリティが魅力なのですが、そのため時に批判されてしまっていたこともあったそうです。
この「まるで自然をそのまま模倣しているかのよう」な、タッチの率直さこそ、巨匠・レンブラントの偉大さを実感できる部分だと思います。
とことん写実的なため、まるで絵の中の人物が生きていてその顔に触れそうであり、振り向きそうでもあり、話しかけたら返事をしてくれそうな肖像画……そんな印象も受けます。

また、レンブラント作品といえば、かなり大胆な塗り方や筆致でも知られています。
当時の人はその厚塗りの大胆さを見て、レンブラント作の肖像画は「鼻をつまんで持ち上げられる」ほどだ、と感想を残したとか。
それと同時に、細かく描き込まれた部分の細密さにも驚かされます。
絵具の特性を最大限に生かした「素材感を生かした描き方」からは、リアルでさりげない自然な美しさを感じます。

レンブラントは銅版画でも素晴らしい作品を数多く残してもいて、その描写力の高さの前には頭が下がりますし、畏敬の念を覚えます。
話によると「召使が用事を済ませて戻るまでの待ち時間で、絵を一枚完成できるかどうか?」で、賭けをしたこともあるとか。
ちなみにこの時、巨匠は短い時間にもかかわらず、見事な絵を一枚完成させたそうです。

人や自然をそのまま写し取ったような絵を見ていると「何をもって美しいとするのか?」その答えが見えるような感覚になる。
それが、レンブラント作品を見るたび巨匠の計り知れない才能に圧倒され、また魅了される理由だと思っています。

余談ですが……。
油彩作品をモノクロにすると魅力が半減するものが殆どなのに、「光と影の魔術師」レンブラントだけは全くそれがない上、「モノクロ版レンブラント作品」がまた素晴らしくて、大いに驚いた経験があります。

文:らんたん

光の画家、レンブラント

レンブラント・ファン・レインはバロック期を代表する画家の一人で、光と陰の明暗を強調した技法を確立し、通称「光の画家」とも言われています。
彼の作品はまるで本当にそこに光が当たっているかのような、存在感のある画面です。
代表的な作品は「夜警」で、それまでのその時代の集団肖像画とはまるで違い、あくまで人物が自然にそこに存在しているかのような描写と、スポットライトを当てたような光と陰の描き方が特徴です。
当時の集団肖像画は一人一人の顔をきちんと描くことが重要視されていたため、不自然に全員がこちらを向いて固まっているような作品が多かったのです。
レンブラントはそういった意味でそれまでの画家とはまるで違っていました。
また、そういった技法の彼の作品は当時からファンが沢山つきました。
肖像画家としては若くから名前を知られ、数多くの作品を残しています。また、自画像も生涯描き続けています。
彼の作品の中には光とともに闇が存在し、この闇が暗ければ暗いほど、光が際立つ事を彼は分かっていました。
陰になる部分には暗い絵の具を何層にも重ね、また明るく光が当たっている部分にはモデリングという画面に凹凸を付ける技法を用いて、白く明るい絵の具を分厚く乗せて迫力を出しています。時には数センチメートル分厚く盛り上がっている事もあります。
「夜警」以外の集団肖像画では「テュルプ博士の解剖学講義」や「フランス・バニング・コック隊長の市警団」が有名で、これらもまた、不自然に全員がこちらを向いているような肖像画とは違い、あくまで自然な時間の流れの一部を切り取ったような描写が特徴です。

文:ゆずこ

レンブラント・ファン・レインの作品紹介

レンブラント・ファン・レインの「夜警」は光と影を駆使している絵画です。

レンブラント・ファン・レインの「夜警」は363センチ-437センチとかなり大きい絵画で、光と影を駆使して描かれた大作です。
The_Nightwatch_by_Rembrandt
もともとこの作品にはタイトルがつけられておらず、このタイトルは後世つけられたものだそうです。より正確なタイトルは「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊」といい、市民隊を記念して描かれたものだそうです。現在「夜警」はオランダにあるアムステルダムの国立美術館に展示されており、オランダ黄金時代の絵画の中でも最も有名なものの一つに数えられています。

絵の大きさ、光と影を取り入れて描かれた事、集団の肖像画には珍しく動きを取り入れた事の3つの要素でこの「夜警」は有名です。私は大塚国際美術館でこの絵を見た時、肖像画だと思わずに何かの物語の場面の一部かレンブラントが見た光景を描いたものだと思っていました。

定かではありませんが「光が当たっている人と影になっている人がいるのはおかしい」と隊員たちが不満を持ったという説があり、この作品以後レンブラントに絵画を依頼する人が減ってしまったという説が残っています。

この絵は過去に三度傷つけられており、その度修復されています。三度も修復されているほどこの「夜警」に魅力があるという事だと私は思います。

文:るるるるん

レンブラント・ファン・レイン「ダナエ」は裸のダナエがとても魅力的な絵画です。

以前、レンブラント・ファン・レインの「夜警」を大塚国際美術館に見に行った際、同じレンブラントの「ダナエ」が展示されており、私はこの官能的な美しさのある「ダナエ」に惹きこまれてしまいました。
Rembrandt_van_Rijn_-_Danaë_1636-1643
ダナエとは、ギリシア神話に出てくる女神の事です。ダナエはとても美しかったのですが「ダナエには息子が生まれない。孫で男の子が生まれるが、あなたはその孫に殺されるだろう」と神託を受けた父親から聖堂の塔閉じ込められしまいます。その美しいダナエに目をつけたのがゼウスです。ダナエは、黄金の雨に姿を変えていたゼウスを聖堂の塔に入れてしまいます。この絵はその時のダナエとゼウスを描いたものです。

私は、閉じ込められているダナエが手を差し伸べて自らゼウスを小部屋に入れようとしている姿を見て、父親への反抗やゼウスに対する興味、ずっと閉じ込められていて退屈だった日常から脱出したいという思いがあったのかなと思いました。

「ダナエ」は1985年にリトアニアの青年により硫酸をかけられ、しかもナイフで刺されてしまい酷く破損してしまいます。この行為の動機について男性は「自分はダナエに誘われた」と語っています。この絵が誕生した1636年から現在まで、どれほどの男性を虜にしたんだろうと思った事件です。修復までかなりの時間がかかったそうですが、無事に修復されて本当によかったです。

文:るるるるん

レンブラントの「イサクの犠牲」は残酷さと慈愛の両方を感じる事ができます。

『イサクの犠牲』

レンブラント・ファン・レインの「イサクの犠牲」からはアブラハムの残酷さ、そしてイサクの自己犠牲、さらに天使の自愛を一枚の絵で見る事ができる宗教画の傑作中の傑作です。さらに驚きなのがイサクがアブラハムの息子と知った事です。神はアブラハムに「イサクを祭壇で焼き、その身を捧げよ」と試練を与えます。この試練にも驚きですが、神の言う事を一切疑わずその試練を乗り越えようとするアブラハムにも生贄になろうとするイサクにも現代人の私から見るととても大きな衝撃です。天使がいなければ残酷極まりない一枚になっていたんだろうなと思うとゾッとします。

「イサクの犠牲」は天使、アブラハム、そしてイサクにのみ光を当てる事でよりドラマチックに見せていると私は思います。全体が明るい、もしくは暗いと何が主体なのがぼやけてしまいそうなのですが、この三人にのみ光を当て、後は暗く描く事でこの三人がそれぞれしている事がハッキリ分かり、この絵画をロマンチックにしていると思います。

アブラハムの残酷さの中にイサクの自己犠牲の美しい精神が光ります。イサクの裸体が美しく描かれている事でよりその自己犠牲が美しく見え、アブラハムの残酷さが増して見えます。天使という救いがある事で、私同様この絵を見て気持ちが救われた人は多いと思います。

文:るるるるん

レンブラント・ファン・レインの基本情報

経歴

レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)は,17世紀オランダ絵画における黄金期の巨匠です.
彼は,レイデンにある粉屋の8番目の息子として生まれました.決して上流階級のお家柄ではなかったそうです.

彼は絵画中のある特定の部分に窓からの日差しなどを用いて,スポットを当てるという作風を特徴としました.
それによって,暗闇の部分とのコントラストを表現することを可能にしたのです.

彼の絵画で興味深く,面白いものというとそれは「テュルプ博士の解剖学講義」にもみられるように,
その1つ1つの絵画の中に多くの”ドラマ”を思い浮かべることができるという点にあるのではないでしょうか.
絵画の中に,彼の生きた時代の人々のドラマを見ることができる.これが何とも言えない魅力です.
また,彼は自身の絵,”自画像”を描くことも多い画家のひとりで,その時々の彼の心境を垣間見ることができます.

彼は沢山の弟子と共に大規模な絵画活動を行い,数多くの作品を残しました.
その多くが素晴らしい評価を受けましたが,そのうちの大半はレンブラントを名義とした,
弟子が作り上げたものであるという事が研究によって判明しています.

他にも,代表的な作品としては,「アトリエの画家」・「賢者の対話」などを残しました.

文:Minne

代表作

代表作としては,「夜警」や「テュルプ博士の解剖学講義」などが挙げられます.
これらの作品にはレンブラントの特徴が明確に見られます.

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