ビスクドール工房 ジュモーのここがすごい!
吸い込まれそうな瞳のお人形たち
アンティークドールの歴史は、大変短いものでした。
1840年代にドイツでファッションドールとして店頭に飾られたのが始まりです。
1人ずつ採寸して服を作っていた当時、人間と等身大の見本の服を飾ることは高価すぎました。
そこで、陶器で焼いたお人形に人間と同じ服を着せて飾ったのです。現代でいうマネキンですね。
初期のアンティックドールが、お人形というには不思議なほど大人びた顔をしているのはこのためです。
(余談ですが、『小公女』で主人公セーラがどんな状況でも肌身離さずに持っていたお人形も、このファッションドールを無理言って譲ってもらったという設定です)
このファッションドールがビスクドールと名を変えたのは後にフランスに渡ってから。
ビスクとは二度焼きという意味のフランス語。
陶器を釉薬を使わずに二度焼き締め、人間の肌に近い透明感を出す事に成功したのです。
初めはやはりファッションドールだったフランスのビスクドールですが、ほどなくして愛玩用としての需要が高まります。
その背景には、産業革命による富裕層の増加やパリ万国博覧会(1855年)で展示された日本の市松人形の影響がありました。
愛玩用としての需要の増加と共に、1880年代をピークにビスクドール工房が乱立します。
それと同時に洗練の度合いも高まってゆきました。
まず、間接が動くようになります。
ファッションドールの時は立っているだけで良かったのですが、座ったり、違うポーズをとったりできるようになりました。
その他、瞼が閉じられるようになるタイプ、機械仕掛けで自動で動くタイプ・・・
そういった変化の中でも、特筆すべきは目の技術でしょう。
ペーパーウエイトアイと呼ばれる技法が生まれたのはこの時期。
あの、吸い込まれそうな瞳です。
これは、瞳の部分を一度吹きガラスで作り、さらに白目の部分をやはり吹きガラスで作ってはめ込みます。
それに虹彩(瞳に向かって走る何本もの線)を手書きで描き、その上に現代でいうコンタクトレンズの様な形の透明ガラスをはめ込んで立体感を出したものでした。
現代でこの技術でお人形を作ろうとしたら、とても商業用では無理だと言われるほどのコストをかけてあります。
様々な工房が技術を競い、顔も工房によって特徴が違いました。
その中でも特筆すべきはジュモー工房で作られたロングフェイスタイプでしょう。
ロングフェイスとは、憂い顔、という意味。
実際、どこか寂し気な思春期の少女が物思いにふけったような何とも言えない繊細な表情をしています。
その後、戦争などでお人形にコストをかける事が難しくなり、ビスクドール工房は合併などを繰り返しましたがやがて消滅。
戦争が終わると、今度は廉価なセルロイドにその役をとってかわられてしまいました。
ビスクドールの歴史としては100年弱。
世紀末に咲いた儚い花のようなお人形たちではありました。
が、その魅力は現代でも色あせることなく多くのファンを魅了し続けています。
文:小椋 恵
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