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パブロ・ピカソのここがすごい!
ピカソの作品は、落書きではない…芸術的な作品です。
パブロ・ピカソと聞くと、まるで落書きのような、子どもが描いたような絵を描く作家だと思う人が多いでしょう。
あの絵で天才だと言われるのであれば、私にもできる…と思う人もいると思います。
しかしピカソの描くまるで落書きのような絵にも意味やすごさがあるのです。
まるで落書きのようなピカソの絵は、「キュビスム」という運動によるものなのです。
ただ適当に描いているのではなく、一つのモデルをいろいろな角度から見たものを一つにまとめて描いています。
例えば一人の女性を描く場合、普通は例えば正面からのみ見て、見たままに描くものです。
しかしキュビスムによるピカソの描き方だと、正面から見て、左から見て、右から見て、後ろから見て…、それらを一人の女性として一枚に仕上げるわけです。
そのため、女性だということはわかるけれど、耳が変なところについているな、目の場所が変だな…といったような絵になるわけです。
この描き方で描くと、絵は動くはずがないのですが、動きがあるように感じられる絵になります。
落書きにも見えるピカソの絵には、キュビスムという手法がしっかり使われていたわけです。
その証拠に、キュビスムより前の時代のピカソは多くの作家と同じように、一つの視点から見て描かれた、知識のない人から見たら「上手!」と思える絵もたくさん描いているのです。
文:さくら
ピカソの絵は下手じゃない!
パブロ・ピカソと言えば、「泣く女」や「ゲルニカ」「アビニヨンの娘たち」などが代表作です。
それらの作品に共通するものは、カクカクした顔。ゴチャゴチャしててよく分からない画面。奇抜な色彩。
中学生の頃に美術の授業でピカソの作品を見た時に、「これなら俺でも描ける!」と言う人がクラスで1人は居たことでしょう。
しかし、私はその子を見ていつも心のなかで憤怒していました。「ピカソの絵は下手じゃない!」と。
私は美術の教科書の、ピカソが特集されていたページを熟読していました。ピカソの絵は確かに恐ろしいし、訳がわからない。でも、そんな理解し難いものを乗り越えた先にこそ新しい世界がありそうだと、お宝を見つけに行くような気分でいました。そこで、私はすでに見つけてしまっていたのです。
それは、ピカソが15歳の頃に描いたという「初聖体拝受」という作品でした。まず、15歳という自分と同じ年にこのレベルの絵が描けることに驚きました。そして、今までピカソに抱いていたイメージとは全く違った、非常に写実的で時事的な絵だったのです。
その隣にあった絵は、青の時代に描かれたという自画像でした。その絵は写実的とは言えませんが、カラフルなキュビズムからは程遠いものでした。全体が青く、描かれたピカソの姿はイラストのように簡略化され、デザインちっくなものでした。
私はこれらの作品を比較し、ピカソとはどういう人間なのか、全くつかめなくなってしまいました。
それからピカソのことが気になって居ても立ってもいられず、ピカソのことをネットでたくさん調べました。それはもう、膨大な作品量でしたし、どれもこれも一人の作家が描いたとは思えませんでした。何故ならピカソが生涯に制作してきた作品の数は、15万点にものぼるのです。しかも作品の種類は様々。絵画作品はもちろんのこと、その中でも随分と描かれ方が違いました。写実的なものや、デザインのようなもの。絵本の挿絵で使われそうな、イラストちっくなもの。
ピカソの絵として代表されるキュビズム作品は、それぞれの時間や角度を一つの画面に納めるという技法を用いている為、私は映像作品のようなものだと思っています。そして版画作品。彫刻作品。陶器。彼は実に、様々なジャンルに先駆ける人間だったのです。
変なおじさん、と思っていた私の認識は覆され、今では一番尊敬する、そして目標にする作家となりました。
文:ぷん
世界のピカソの意外な一面
パブロ・ピカソといえば、スペインを代表するアーティストで有名なゲルニカなどを描いた人。ピカソは画家としての人生においていくつもの「時代」を経てあらゆる芸術的表現を模索していました。
私が注目したいのは、ゲルニカなどの作品がまだ出る数年前のキュビズムといわれる時代のピカソ。コラージュはこのピカソが先駆けとなり絵の世界に取り入れ、他のアーティストに影響を与えたのです。
コラージュは現代も写真のアルバムを作る時など一般的にも用いられアレンジされている技法です。ピカソの場合ただ絵を描くだけでなく、描こうとしてる作品をモチーフや文字、違う素材を組み合わせて作っています。
この時代に彼と共にこの技法で名を連ねていたのはジョルジュ・ブラック。ピカソは彼から刺激を受けパピエ・コレ(貼り紙)をテーマとした作品を作りました。
このようなピカソの創造性ゆえに彼は芸術家としてだけでははなく、常に新境地を開拓していく斬新なアーティストとして成長していたように思えます。彼の作品の中に「籐椅子のある静物」がありますが、なんともお見事。ピカソはコラージュ作品の中で、絵だけでなく文字も書き加え、新たな領域に踏み込みました。
この時代にいるピカソを見ると、のちにゲルニカを描くための道を歩む途中にいた彼の後姿を感じさせます。
文:ラブリー
芸術に人生を捧げた真の芸術家
ピカソは、フランスを代表する画家で、現代美術の手法であるキュビズムの創始者としても知られています。私たちの思い描くピカソのイメージは、幾何学模様のような難解な絵を描くエキセントリックな天才画家、といった人物像ですが、実際のピカソは、創作の間は片時も一人でいられないほどの、非常に繊細でさみしがり屋な性格であったそうです。
ピカソは、生涯を通じてその作風が大きく変わっていった画家でもあります。その時の人生体験をも盛り込んだ表現作品となっている絵画は、それぞれ「青の時代」「ばら色の時代」と呼ばれています。
最も多作な画家として知られるピカソは、毎日創作を行うことを日課としており、自分でもその課題を楽しんでいるような素振りを見せていました。人が生活の中で毎日食事をしたり、睡眠をとったりするのと同じように、ピカソにとって創作活動を行うことは、人生そのものだったのかも知れません。人生の様々な経験や苦い思い出も、自身の作品の中に盛り込み、後世に残るほどの偉大な芸術作品として仕上げ、自分の人生そのものまで芸術のために全てを捧げた真の偉大な芸術家。ピカソが天才と呼ばれる理由はそんなところにあるのかもしれません。
文:あやぱみゅ
後世の芸術家に与える影響力
ピカソの絵には価値があると言えます。価値は作品を見たみんなが決める物です。ではなぜピカソの絵に価値があると決めたのかというと、私達の感性を刺激する表現力が他の作家よりもずば抜けているからです。また、当時ピカソの周りに感性が豊かな人々が多いのも幸いしました。ピカソの絵は、後世の人々の感性に呼びかけるものですから、人間の本質的な感性を刺激したものと言えます。だから美術の流れも大きく変えた事になります。もはや絵画は写真の代わりではなく、宗教画の役割も果たし、さらにそれ以上の存在にまで向上させました。
抽象表現などの発明により、絵画は自由度をまし、絵画の潜在能力を開花させる事になりました。自己表現という事に着目した功績は、今後も揺るがない高く評価され続けることでしょう。自己表現にはオリジナリティが大切です。それを教えてくれたのはピカソです。そして、それを理解して認めた人々の功績も大変大きいです。
昔の美術の世界は、公募展はとても少なくて、才能がある画家が日の目を見ないケースが多かったと言われています。現在のように多くの公募展があって、美術団体もあり多くの人々に見てもらいやすい時代ではなかったです。
文:ピカライト
パブロ・ピカソの作品紹介
大作に込めた平和への想い「ゲルニカ」
パブロ・ピカソの業績を短文で表現することは難しい。
多くの方がご存知かと思いますが、その生涯の中で何度も作風を変えています。
青の時代、バラ色の時代、新古典主義の時代、幻想の時代…。
その中でも、もっとも大きな業績はキュピズムの発見でしょう。
キュピズムとは、描く対象を右からも左からも斜めからも…と多方面の視点で見たものを一つの画面に収めるという荒業で、それまでの視点が一つであるという透視図法の常識を打ち破りました。
最も、ピカソが初めてそのキュピズムを発表したときは(アビニヨンの娘たちという作品でした)友人たちはピカソが精神を病んでいるのではないか、今に自殺するのではないかとさえ心配したそうですが。
そんなキュピズムも、新しい表現方法に飢えた人々に見いだされ、やがて絵画表現の一つと認められていきます。
そんな中、ピカソがキュピズムの技法で描いた一番の大作は「ゲルニカ」でした。
ゲルニカというのは、スペインにある地方の古い地名。
1937年、このゲルニカ地方はヒトラー率いるドイツ軍からの空爆に合います。犠牲者数百人。
その生涯のほとんどをフランスで過ごしたとはいえ、ピカソはスペイン生まれ。
フランスでこの悲報を知ったピカソは怒りと鎮魂の思いを込めてこの大作を描きました。
もともとキュピズムというのは、どこか不気味な雰囲気が漂う作風なのですが。このゲルニカはそのキュピズムの特徴を最大限に生かして悲劇を描き切ります。業火に焼かれる人、横たわる死体、こと切れた我が子を抱いて泣き叫ぶ母親ーー。
ピカソは15歳にしてプロの画家顔負けの写実的技術を身に着けていました。しかしながらこの悲劇を写実で描かれていたならばとても直視できるものではないでしょう。
不気味ではあるけれど、写実的ではない。そんなキュピズムの画法だからこそ、描けた悲劇だったのです。
ピカソは独自に編み出したキュピズムの画法を駆使し、戦争の悲惨さ、愚かしさを後世に残したのです。
文:小椋 恵
ピカソのゲルニカはとても深い絵画です。
私は、大塚国際美術館で始めてこの作品を見た時、何となく暗い印象を受けるなという程度にしか感じませんでした。その後、ゲルニカの解説等を読んでとても深い意味のある作品だという事を知りました。この作品は、ナチス・ドイツのゲルニカ襲撃を描いた作品で、当時はそれほど評価が高くありませんでしたが、後々反戦のシンボルとして高い評価を得るようになったそうです。
パブロ・ピカソは1881年にスペインで生まれ、主にフランスで活躍した芸術家です。キュビズムと言われる立体派の創始者としても広く知られています。生涯に置いて作風が変わり続けた事でも有名で、その幅広い作風に「これもピカソが描いたものなの?」と驚く方は多いです。
ゲルニカを描く前、ピカソはほとんど創作活動をしていなかったと言われていますが、ゲルニカ襲撃の事を知るとすぐに創作活動に入り、一ヶ月程度でこの大作を仕上げたと言われています。
子どもを抱えて泣いている母親、救いを求める人々、苦しそうな表情の動物等様々なモチーフが白黒で描かれているこの作品を見る事で当時のゲルニカの人々の絶望感が伝わります。もう二度とこのような悲しい歴史を作ってはならない戦争をしてはならないという気持ちが強くなりました。
文:るるるるん
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