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クロード・モネ

クロード・モネのここがすごい!

ジャポニスムを愛するモネ

モネは幼少期より絵画の才能に溢れ、25歳でパリのサロンへ2作品を初出品し、2作品とも入選を果たします。
しかし、その後30歳までに落選が続き、しばらくサロンへの出品を辞めてしまします。その頃自分の作品が売れない事で悩み自殺未遂を図ります。

37歳の時にカミーユと結婚します。このカミーユがモネのその後の人生の支えになる女性です。
モネの代表作の一つに「ラ・ジャポネーズ(日本衣裳の女)」があります。
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そのモデルにもなっているのが妻カミーユです。モネはとても愛妻家であったと言われています。それは作品「庭のカミーユと子供」や「アルジャントゥイユのひなげし」を見てもモネが自分の妻と息子をモデルに、幸せに目を細め作品を仕上げる様子がうかがえます。

しかし、カミーユは32歳という若さで他界し、その死はモネをひどく打ちのめしました。
その時の作品に「死の床のカミーユ」があります。この作品は愛する人の死を悲しみ、悼み、その苦痛をぶつけるようなタッチで仕上げています。こうすることで、彼の心の中にある後悔や懺悔の念を噛みしめていたのかもしれませんし、絵の中に永遠に愛する人の姿を映し、彼自身のカミーユと一身になれたのではないでしょうか。

文:中村真帆

当時から当世を代表する実力を備えた画力の流行の先端画家

睡蓮の一連の作品で著名で、日本でももっとも人気のある画家としてもしられているクロードモネは、よく光の画家とよばれています。

一般的な光の絵画と呼ばれるものよりも、視点を変えて、その対象物そのものと映りこんだいくつもの影や光が、多彩な淡色から細かな光の点などひとつひとつの大量の描きこみにより重ねられて表現されており、額縁前のとある視点からだけで絵全体をしっかりととらえることができる、非常にわかりやすい作風であるところも人気の一つです。たいへんわかりやすく印象にも留まりやすい構図であるばかりでなく、その時々の当世流行りの旅行先、エキゾチックなブームや水辺などの人気のあるモチーフも取り入れており、その関係で作品全体に各地のバカンス先への憧れをかきたてるような魅力もそなえており、当時から当世を代表する実力を備えた画力の流行の先端画家であったことなどがうかがいしれます。

通常、1画面内で印象にしっかりとどまる作品の場合、遠近感などを非常に激しく変えてあるものなども多くありますが、こちらの場合は人の目の中心などからみれば、しっかりと元の形に復元できる境界との微妙な立ち位置にある作品も多く、そんな構成上のわかりにくい取り方に個性があり、よりおおく人をひきつけているのではないかとも考えられています。

たとえば、光とは一見縁遠く見えるキャピュシーヌ大通りといった作品も、その構図の根底では、過去の大家が描いた作品のエッセンスをより深く解釈した、おちついた光を感じさせるパート部分も内包しています。どんな作品の中でも、「根底にしっかりとした作画の為の木や建物や人物といった配置と光のバランスを計算にいれてキャンバス上の視点を設定している」ところが、さすがに欧州ファンを当時からとりこにした作家らしく素晴らしいなあと、何処の作品でも納得できます。

文:AIU

フランス印象派の巨匠クロード・モネ

印象派を代表するフランスの画家クロード・モネ。社会の教科書で初めて彼の絵を見た時、なんて繊細で色使いの美しい絵を描く画家だろうと感動した覚えがある。彼の絵画が益々好きになったのは、大学でフランス言語文化を専攻し、フランスの画家たちの作品と半生に触れた時のことだった。

あれだけ美しい絵を描くのだから、さぞかし幸せな人生を歩んできたのだろうと漠然と思っていたが、今でこそ巨匠と呼ばれ誰もが知る存在の彼も、当時はただの苦労人の貧乏画家であったのだ。

10代で母親を無くし、学校を中退後画家としてデビュー。一度は人物画で世に認められたが、その後は常にお金に苦しむ人生だった。彼は評価を得た人物画を辞め、風景画ばかり描くようになるのだが、世間の評価やお金のためでは無く、自分の本当に描きたい物を描くことに力を注ぎ続けた。人物画を描き続けていたらもっと早くに評価を得、豊かな生活が送れていたかもしれないのに、なぜそこまで自分の心に従うことができたのか。

人の価値が学歴や仕事、財産で評価されやすく、誰もが生きるのに必死で窮屈な現代。そんな窮屈さを感じている自分にとっては、自分の道を進み終生好きな絵を描き続けた彼の絵が眩しくてしょうがない。

あの繊細で多彩な色遣いで描かれた、のどかな風景画たち。

私が特に気にいっているのはモネの家や庭が描かれた絵画たちだ。絵には心が洗われるような色彩の美しさだけではなく、彼の家や家族を大事に思う気持ち、愛情が満ち溢れている。

彼の半生を知り、絵画を見ることは、その絵から滲み出る美しさと深みを、より色彩豊かに感じさせてくれるのではないだろうか。

文:ゆうゆママ

モネ、移りゆく光を見つめて

印象派の巨匠クロード・モネの絵画の素晴らしさは、繊細な光の表現と、夢のように美しく豊かな色彩にあると思います。
印象派と言う言葉も、モネの代表作「印象、日の出」から生まれましたが、この作品を見た当時の批評家ルイ・ルロワが、「この絵には印象しかない」と酷評したエピソードは有名です。それまでの絵画は、見たものをそのまま細部まで緻密に写し描く写実主義が主流であり、モネを始めとするシスレー、ピサロ、ルノワールといった印象派たちの、形や細部にとらわれるよりは、対象から受けた印象や、移り変わる光、空気感を時には荒々しくもある自由なタッチで瞬間的に描いた作品は、当時なかなか受け入れられなかったのです。
しかし、時は19世紀、カメラの出現により、対象を見たままに正確に描くそれまでの技法に価値を見出だせなくなった画家たちは、サロンに冷遇されながらも、彼ら独自の展覧会(印象派展)を開催し、試行錯誤を重ね、生き残る道と新しい芸術を模索し続けました。
また、19世紀中頃に普及した軽量なチューブ入り絵の具は、画家たちをアトリエから解き放ち、自然光溢れる戸外での制作活動を可能にしました。
モネは戸外で作品を制作するうちに、時間とともに刻々と移り変わる光や、空の表情、水面が放つ一瞬のきらめきに魅せられ、次々に名作を生み出していきますが、浮世絵にも影響を受けた、色彩分割などを用いた斬新な絵画表現が受け入れられるまでには時間がかかり、何度も経済的危機に陥ります。
今ではあまりにも有名な「光の画家」モネですが、その人生は、決して眩い光ばかりではなく、貧しさからの自殺未遂、愛する妻、子供の死、パトロンの夜逃げなど、苦悩に満ちた深い影の部分もあるのです。深い影を帯びるからこそ、そこにある光がより美しく際立つのかもしれません。
苦しみや、孤独があるからこそつかの間の幸福な日々は、輝きを放つのでしょう。モネが描いた愛する妻や子供は、優しく繊細に包まれています。
ポプラ並木、積み藁、国会議事堂、ルーアン大聖堂、睡蓮、セーヌ川の朝といった連作などによって、ようやくモネの画家としての地位が確立したのは、40代以降であり、晩年は、視力の低下に悩まされたと言います。
また、家族や印象派仲間たちも次々と亡くなり、モネは孤独と戦いながら、絵を描き続けました。モネは生涯、移り行く光を追い求め表現を探求した偉大な画家でした。
そして、古い価値観を覆すべく、独自の作風と信念を貫き通した革命家でもありました。
彼が愛した家族、見つめ続けた風景は、今も尚眩い光を放ち、私たちを魅力してやみません。
今日の芸術における表現の自由はモネを始めとする印象派画家たちのたゆまぬ努力と信念が礎となっていることは言うまでもありません。

文:月の虹

印象派モネの超大作!

パリに行ったのは美術館巡りをしたかったからです。
オランジュリー美術館もそのうちの一つでした。
まずはモネ以外の小作品が展示されている部屋で、ルノワール等の作品を見ました。

「モネの睡蓮」が置いてある大きな部屋の入口から見えていました。
テレビで見たことがある、あの睡蓮が!
四季に別れ、二部屋に配置してあります。
とにかく大きく長い!想像以上の迫力です。
しかし絵に寄って見てみるとモネの筆致がわかるように、力強さや思いが伝わってくる気がしました。

どれもこれも明るいのではなく、春には春の、冬には冬の色をした池がそこにあります。
モネの愛した睡蓮の池を彼の目を、絵を通して、私たちも見ることができます。
キラキラと輝くような可愛らしい睡蓮、睡蓮、睡蓮…
かと思えば風の音がしてきそうな淋し気な柳の木の葉…
そして虫やカエルでも居たら「ちゃぽん」と音がしそうな池そのもの…
何時間でも見ていられると思いました。
実際には他に行かなきゃならない美術館があったので、1時間半程しか入れませんでしたが、時間に余裕さえあればもっと見ていたかったです。

先日上野の「モネ展」にも行って来ました。
確かにモネは睡蓮をたくさん描いているので、今回の展覧会にも小作品が来ていました。
視力の落ちたモネが描いたのだな…という印象でした。
私が一番好きなのは、オランジュリー美術館の睡蓮・連作です。

文:jaimeraisretourneraunpays

光を描く

中学生の時、美術の教科書を眺めながら「絵画なんていうものは一部の人間(お金持ち)が道楽で楽しんでいるものだ。」なんて思っていた以前の私に忠告をしたい。
「早くモネの絵を見なさい」「印象派の絵を観に行きなさい」。
【水連】を観た時のその衝撃といったらなかった。まるで光をキャンパスに塗っているのではないかと思われました。モネに限らず印象派の絵画を是非ご覧ください。きっと息を飲むことでしょう。

私は絵描きではないので技術的なことは詳しくはわかりません。しかし、人間とは「感じる」ことのできる動物なのです。教科書やインターネットの画像では決して伝わらない物が間違いなくその絵画達には潜んでいるのです。
是非一度印象派の作家達のその絵を観てください。息を飲むとはあの瞬間のことを表現するんだと私は思います。まるで時間が止まってしまったような気持にも似ています。ただその絵の前で呆然と立ち尽くしてしまう。そんな絵画が本当に存在するのです。

「モネの水連」といってもその数はとても多く、その中からお気に入りの一枚を探すのも一つの楽しみになるでしょう。いまやその人気は絶大で普通の人間が手にする金額では間違いなく買えない値段になってしまっているけれど。レプリカでも欲しい。そう思わずにはいられません。
私には彼の絵画は魔法に見えるのです。そう、ディズニーランドが「夢と魔法の国」ならモネの絵画は「魔法使いの描いた絵」だと思います。とは言ってもミッキーが描いたわけではないですよ。まるで魔法なんです。光を操る魔法としか私には思えないのです。絵具であんなことをできるなんてそれはそれで本当に魔法使いだけれど。キャンパスから光が零れ落ちそうなほど光っているかと思えば、暗くなっている様子を描いた絵もあります。
「水連」以外にもあります。私が個人的に好きなのは、前述したように「まるで光がキャンパスに塗ってあるような作品」。【オンフルールの海辺】や【パラソルを差す女】【アルジャントゥイユの橋】。

そう、写真より写実的な、まるで魔法使いが描いた絵を是非一度観てください。きっとあなたもすぐに虜になるでしょうから。

文:あおい

印象派の創始者、モネ

クロード・モネ(1840年-1926年)は印象派を代表する画家です。
時間とともに移りゆく色彩と光の変化を、生涯に渡って追い求めました。モネの絵には、類似の場所でも時間の設定が異なって描かれた作品がたくさんあります。
1865年、サロン・ド・パリに2点の作品を初出品し、2点とも入選しました。その後もサロン・ド・パリに入選を続けますが、1869年に落選してからは、しばらくサロンへの出品を控えました。

第一回の印象派展に出品された作品は、「モチーフを描かずに、ただ単に印象を描いただけ」と評論家のルイ・ルロワから酷評され、当時の評価は非常に低いものでした。『印象派』という名称は、ルイ・ルロワの評論を基にして生まれたものです。

モネの代表作で有名な作品として、『印象・日の出』があります。同じ時代の作家の中では考えられないほど、何を描いたのかわからない、対象を上手くとらえることができない子供が描いたような絵に見えます。他にも、妻をモデルにした『日傘を差す女』、『サン・ラザール駅』など、たくさんの名作が残されています。

日本絵画に関心が深かったようで、日本の浮世絵から着想したと言われる、『ラ・ジャポネーズ』もあります。日本画では描かれることのないような、大胆な色彩を使いながら、浮世絵を取り入れた大胆な作品です。

1880年代終わりから晩年にかけては、『睡蓮』の連作を制作していました。『睡蓮』シリーズでは、一日のその時々の光の変化を追及する、モネの画家としての執念が伝わってきます。『睡蓮』シリーズはかなり大きな作品ばかりです。モネは晩年、目が悪くなってしまい、晩年の頃の作品はタッチの粗さが目立ちます。

モネに影響されて追随した印象派の他の画家としては、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャンなどが有名です。

文:saya

ヨーロッパの名作絵の展示会に行ったときの感想。

私はいろいろな、さまざまな、絵を描いたり日本の画家、外国の画家を見に行ったり、展示会に行ったりするのが大好きです。
今から8年前に弘前市の博物館で行われたヨーロッパの名作絵の展示会に、母と見にいきました。
会場に入るとヨーロッパの名作の絵や日本の絵が、飾ってありました。大きな絵から、小さい絵が、飾ってありました。名前はミレー、モネ、ルノワール
どれもみんな、印象派といわれた人たちです。
見ているうちに私は、モネの絵と、書き方、色の使い方、表現の力に、心惹かれていきました。
私も絵を書くのですが、モネのような、絵は私はここまで書けません。モネは、人物像と景色像が、あります。モネの景色像を、ずっと、ずっと、見ていますとなんか、すいこまれていきまして、その時代にタイムスリップしたみたいになります。
人物像は、凛とした人を書いているのですが、きれいな色と感覚が、すばらしいです。人物像の後ろの、景色も鮮やかな彩色を使っていまして、見ているだけで明るく輝きます。
その他にも絵をかいているのですが、どれも素敵で、良くて、感動します。近代時代のなんともいえない、モネの絵画はとっても、大好きです。

文:きーり

光の中に浮かぶ睡蓮の絵画

絵画をみることが好きなので、時々上野に出かけていくつかの展覧会を見てきます。そのときよく立ち寄るのが西洋美術館です。なぜならば、私の好きな印象派の ルノワールやモネなどの作品を身近に鑑賞することができるからです。
もちろん、印象派人々の作品展や昨年のオルセー美術館のルノワール展などすばらしい作品展がたくさん催されておりこれらももちろん見てきましたが、いつでも印象派の人たちの作品を身近に見られるということで、西洋美術館は大好きです。
その中でも、地元の美術館にモネの睡蓮の大きな作品があることもあって、その自然界の光を巧みに映し出すモネの作品は大好きです。 水面に反射する光の巧みな表現、様々に変化する自然の様子が本当に見事に描かれています。
睡蓮の作品の光と色はもちろんとてもステキですが、その他にも並木道(サン=シメオン農場への道)などの作品の木漏れ日の描き方の光、そして広がっていく青空への空間、船遊びの少女達の白いドレスと湖面の色の美しさ、睡蓮はもちろんそうであるが、湖面の輝きがこちらに伝わってきます。神秘といっても良いかもしれません。
印象派展と名前がつくとあちこちの美術館に出かけているので、頭のなかで作品がごちゃごちゃになっていますが、西洋美術館の作品は何度も出会っていますので、やはり、印象が強く残っています。いつか、ルーブルやオルセーの美術館に出かけることが出来ればと言う夢をもっております。そして、モネの光の世界にひたることが出来たらばと思います。

文:まこ

クロード・モネの作品紹介

「睡蓮」

クロード・モネといえば、色づかいと光の表現が特徴的な印象派の画家の一人。
美術に詳しくない人でも彼の作品を見たことがあるという方は多いのではないでしょうか。
「散歩・日傘をさす女」は一度見たら強く印象に残る作品ですが、クロード・モネをあまり知らない方にも「睡蓮」は是非見ていただきたい。
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特に、四国の香川県から船で行ける直島に安藤忠雄建築の地中美術館がありますが、そこにあるモネの部屋は必見です。
そこの部屋の一つには、「睡蓮」だけがシンプルに飾られているのですが、弧を描いた形で展示され、広い空間全体に溶け込んでいるように見えるからです。
そして何よりこの地中美術館そのものが、クロード・モネの作品と絶妙にマッチしていています。だから空間に身をゆだねて全身で絵を感じることができるのです。
睡蓮の葉っぱをじっくりと見ていると、色使いのきめ細かさだけでなく、筆使いまでもが浮かんできます。クロード・モネは何を思い浮かべながらこの作品を描いたのでしょうか。
きっと自然との一体感の中から生まれた作品なのではないでしょうか。
何故なら、個体としての人間のままで表現できるレベルの作品ではないからです。

こういった領域は、ある意味では外界との分離感を超越した画家だけがたどり着ける場所だといえるでしょう。このような一生印象に残る作品というのは若いうちに触れておきたいものです。アートに関わる者であれば、クロード・モネの作品に生身で触れることの重要性を忘れてはいけません。

文:かっちゃん。

モネが晩年までとりかかった200点以上に及ぶ連作

クロード・モネ。19世紀のフランス絵画に革新をもたらした、印象派の巨匠です。彼の代表作はいわずと知れた「睡蓮」。

では、「モネの睡蓮」と一言でまとめたとき、あなたはどの「睡蓮」を頭に思い浮かべるでしょうか?

筆者がこう問うのも、モネは1890年代末に取り掛かってから1926年に没するまで、実に200点以上にも及ぶ「睡蓮」の連作を手がけたからです。
現在、モネの「睡蓮」を主題とした作品を所蔵している美術館や個人は、世界各国に及びます。

1883年、クロード・モネとその妻子たちは、パリ郊外のジヴェルニーに移り住みました。
そしてジヴェルニーを気に入ったモネは、約20年かけて自宅に庭園をつくり上げ、この庭園を「もっとも美しい自分の作品」と評しています。
庭には睡蓮の池がつくられ、日本風の橋がかけられました。

1890年代末、モネは自宅の庭園を題材とし、「睡蓮」を主題とした作品の制作を開始します。
最初の頃は、橋と睡蓮の池を入れた、広い範囲の風景画を描きますが、だんだんモネの興味は、睡蓮の池そのものへと、そして池の水面の一部へと移っていきます。

オランジェリー美術館「睡蓮の間」の大装飾画は、筆者が「モネの睡蓮」と聞いて真っ先に思い浮かべるものです。
それらは22枚のパネルからなる8点の作品で、2室に渡って展示されています。

「睡蓮の間」は円形の部屋で、中央にベンチが置かれ、その周囲を囲むように睡蓮の絵が展示されています。
天井はガラス窓となっており、自然光で鑑賞できるようになっています。
壁は白く、展示されているのは睡蓮の絵だけ、見る者と絵をさえぎるいっさいのものは置かれていない……実はこれらはすべて、絵の展示にあたってモネが出した条件なのです。

オランジェリー美術館「睡蓮の間」、筆者が訪れた美術館のなかで、もっとも心に残っている場所の一つです。
それは、なんとも幻想的な空間なのです。
中央のベンチに座っていると、360度がモネの「睡蓮」の世界。
全身で絵を感じているような感覚におそわれ、まるでモネの庭の池の中にいるような錯覚をもおぼえます。
しかし絵で囲まれているのに圧迫感もなく、それどころか癒されていくような、心が落ち着くような……なんとも不思議な心地よさなのです。

「睡蓮の間」を飾る8点の「睡蓮」は、1923年に制作が開始され、モネが没する1926年にようやく完成しました。
白内障の手術を受けて視力を取り戻したモネが、文字通り、全身全霊をかけて取り組んだ作品です。

もしかしたら、「睡蓮の間」にいると、モネの魂を身近に感じる気持ちになるのかもしれませんね。
パリを訪れる人がいたら、熱く勧めたい、大好きな場所です。

文:usako.k

初夏を感じられる気軽に会える名画「陽を浴びるポプラ並木」

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太陽の光に惹かれ、 太陽の光に照らされ次々と表情を変える景色に惹かれたクロード・モネ。
変化する景色を画面に残そうと、同じ風景を季節や時間を変え、繰り返し繰り返し描きました。有名な「睡蓮」がその一つです。
そして、この「陽を浴びるポプラ並木」は、連作 「ポプラ並木」の一部。

「ポプラ並木」は、モネが晩年を過ごしたジヴェルニー近くのエプト川岸にありました。空高く伸びていくポプラの木と川に反射するポプラの木にモネは魅了され、1891年の初夏から何枚もの作品を描いていきます。
「陽を浴びるポプラ並木」では、青空に伸びる三本のポプラの木が描かれています。
晴れやかな青空、伸び伸びと画面を突き抜けるポプラの木、生き生きと繁る木の葉や下草、鏡のように景色を写す川面。
初夏の太陽に照らされ、すべてのものが生命力にあふれています。さわやかな風の音や草の香りが感じられます。初夏のエプト川岸とポプラ並木の印象を見事に表現しています。

そして名画といえば、特別展で行列を作って見たり、はるばる見に行かなければならないイメージですが、この作品は気軽に会えるんです。
上野の国立西洋美術館に常設されているので、東京近郊にお住まいの人だったら本当に気軽に訪れることができます。遠方にお住まいでも何かのついでに足を運ぶことができるでしょう。
エプト川岸の初夏の空気をゆったりと堪能してみてください。

文:sophia

光に憧れた画家の最後の人物画「パラソルをさす女」

クロード・モネ。主に1800年代半ばから1900年代初めにかけて活躍したフランスの画家。
いえ、フランスの画家というよりは「印象派の画家」と表現すべきでしょう。
印象派の画家たちは、戸外での一秒ごとに移り変わりゆく陽光を、その一瞬を、画面に残そうとしていました。
その傾向が特に強かったのが、このモネだったのです。
この「パラソルをさす女」でもそうですが、印象派の画家たちは物体の持つ固有の色彩を否定しました。
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それまでの絵画では、白いドレスはあくまでも白であり、せいぜい影の部分で色が暗くなる程度。
それが常識だったのです。
しかし、実際に天気の良い日に白いワンピースを着て花々の咲く野原に立ってみれば分かるのですが。
花々の色がワンピースに反射して、白いワンピースがところどころ地面に咲く花の色に見えます。
モネは、その『一瞬』を見逃すことのない観察眼を持っていたのです。
ところで、この作品の女性にはどうして顔が描かれていないのでしょう?
二つの説に分かれています。
草原に佇む女性を描いたのではなく、女性を通して一瞬の光を描こうとした。その一瞬の光は顔にも反射していたのを見逃さなかったという説。
そしてもう一つが、この作品を描いた時期はモネは最初の奥さんと死別した時期と重なっている。悲しみと孤独のあまり、女性の顔を描けなかったのではないかという説。
どちらが正解なのか、現代では確かめる事は出来ません。
しかしながらこの作品以降、モネはさらに光を追い求め、人物よりも風景に降り注ぐまばゆい光ばかりを描き続けたのは事実でした。
この点に関しても、奥さんの死のショックから心理的に人物が描けなくなった説。
芸術家としてのこだわりから「光」をキャンバスに描きとめるためには、人物よりも風景が適切だとモネが判断した説。
この二つの説に分かれています。
しかしながらモネがどのような気持ちで描いたとしても、その偉業が何ら変わることは無いでしょう。

最後にモネが自分の作品を通して語った言葉を紹介しましょう。
「私の作品は自然に向かって開かれた窓である」
この言葉に、モネの芸術のすべてが集約されているように思えます。
なお、蛇足になりますが。
この「パラソルをさす女」の制作から6年後にはモネはこの絵のモデルとなった女性のお母さんと再婚し、幸福で落ち着いた人生を送っています。

文:小椋 恵

どれもこれも睡蓮だけれど、一つ一つ絵が上手です。

モネの作品はどれもこれも睡蓮です。昔名古屋美術館に学生のころ作品を見にいきました。モネの作品は高校の私立の英語の教科書に載っていました。そのときからモネの作品はなにか魅力があって見にいきました。自然に書いたけれど、写真とは違いアートという感じの絵がきれいに思えました。作品一つ一つに思いがこめられているようなそんな作品でした。モネの作品は英語の教科書を見たときから好きだったのですが、実際に美術館に行って、もっと好きになりました。モネの作品はきれいで心がこもっているようなそんな繊細な絵が好きでした。モネは結構有名な人物で、作品はモネの家の池を描いたもので、フランスに保存されています。ここまできれいな絵を描く人はあまりいなくてモネはモネの魅力的な絵が現れているような気がしました。モネの作品は200点以上もあるので、よく頑張っているなと思いました。ニューヨークのオークションでは2,400万ドルもしてすごい価値のあるものでした。こういうような絵がとても好きなのですが、モネの絵は私にぴったりな感じがしました。作者もいろいろと描くのを一生懸命に頑張っていることも絵を見ただけで伝わるような気がしました。

文:zuxidyu7

「ラ・ジャポネーズ」は和洋折衷の美しい作品です。

以前、私は大塚国際美術館を訪れた時にクロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」の和洋折衷の美しさに惹かれました。赤く美しい着物を来た女性と、着物に描かれたいかつい顔の男性が印象的な作品です。この女性は、モネ自身の妻であるカミーユを描いたものと言われています。とても優しく、美しく描かれていることからモネがいかにカミーユを愛していたかがよく伝わります。

クロード・モネは1840年にフランスのパリに生まれた印象派で有名な作家です。パリで多くの作家と知り合った後、同じくフランスのアルジャントゥイユへ引っ越します。このアルジャントゥイユでは約6年間すごしたと言われていますが、この間に約170もの素晴らしい作品を残しています。その後、晩年にかけてはルーアン大聖堂を始め一つのテーマをモチーフにした連作を数多く描き上げました。

モネは、当時のヨーロッパの芸術家の中でも特にジャポニズムに魅了された一人で、このラ・ジャポネーズにも扇子や団扇が描かれています。モネの自宅には他の来客は断る事はあっても日本人の来客は歓迎したと言われているほど日本が大好きだったそうです。和洋折衷で他にはない不思議な魅力のあるこの作品が私は本当に大好きです。

文:るるるるん

「サン・ラザール駅」は青が鮮やかで、見ているだけで爽やかな気持ちになれる絵画です。

『サン・ラザール駅』

クロード・モネが1877年に描いた「サン・ラザール駅」は、青が鮮やかで見ているだけで爽やかな気持ちになる事ができる、そんな素敵な絵画です。現在はパリにあるオルセー美術館に所蔵されています。

私の趣味は色々な絵画を見る事で、インターネットを通して世界中の色々な絵画に触れる事が大好きです。この「サン・ラザール駅」も、インターネットで美術品巡りをしていて出会った作品です。ネットを通してこれほど感激するのですから、本物はどれほどすごいのだろうと思いました、

この「サン・ラザール駅」には面白い逸話が残っています。モネはこの作品を描く時、駅長に許可を取って描いたそうです。今では信じられませんが、当時モネは無名に近い状態の画家でした。そこで、絶対に許可を取るためにあらゆる工夫をこらし、ついに駅長の説得に成功したそうです。許可が降りたモネは、素晴らしい絵画を描くために駅長に様々な要求をします。当時のサン・ラザール駅は最先端のものがふんだんに使われており、近代化を象徴する駅だったといわれています。どの時代も、最先端のものには多くの人々の情熱が込められています。モネはそんな情熱を感じ取り、駅長に様々な要求をしてまでこの絵画を完成させたかったのかなと思いました。

このサン・ラザール駅を題材に、モネは他にも何点か素晴らしい絵画を残しています。当時の駅長が許可を出していなかったら、きっとこの傑作たちは生まれていなかったでしょう。当時の駅長にお礼を言いたい人は私だけではないはずです。

文:るるるるん

 

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『プールヴィルの浜辺』

 

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『ラ・グルヌイエール』

 


『庭の女たち』

 

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『アルジャントゥイユのひなげし』

 

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『国会議事堂』

 

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『緑衣の女』

 

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『かささぎ』

 

クロード・モネの基本情報

経歴

「印象派を代表する画家モネ」。「光の画家モネ」「モネの『睡蓮』」……。
美術に興味がない人でも一度はその名前を聞いたり、作品を見たりしたことがあるのではないでしょうか?

クロード・モネは19世紀フランスの画家です。
19世紀より前、画材の事情で画家が屋外で絵を描くのは大変なことでした。画材が進化し画家が屋外にでていくと、そこには太陽の光に照らされた世界がありました。

晴れの日、曇りの日、朝の光、昼の光、夕方の光・・・同じ白い花でも天気や時間によって違う色に見えるのです。それを表現しようとしたのが「印象派」でした。
印象派の画家の中でも特に、モネは太陽の光に惹かれ、時間や季節とともに変化する風景を描くことにこだわりました。

そうして描かれたのが、モネの代表作「睡蓮」の連作です。パリ郊外ジヴェルニーの自宅に睡蓮の池を作ったモネは、時間を変え季節を変え200点以上もの 「睡蓮」を描いたのです。
晩年、白内障で視力をほぼ失ってからもモネは 「睡蓮」を描きました。 光によって変化する自然を目に写ったとおりに描き続けたモネだからこそ、失明寸前の目に見える世界をも描こうとしたのかもしれません。
最期まで印象派の思想を追い続け、光を描き続けたモネ。 まさに、印象派を代表する画家であり、光の画家であったといえるでしょう。

文:sophia

クロード・モネの関連書籍

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