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マルク・シャガール

マルク・シャガールのここがすごい!

愛を絵画に託した画家シャガール

マルク・シャガールは二十世紀を代表する画家の一人でロシア生まれの厳格なユダヤ人の家庭で育ちました。その生まれのため第二次世界大戦という時代の流れに翻弄されることとなり、一見成功者であるように見える彼の生涯は常に影を落としているといえるでしょう。

追手から逃れるためにアメリカに移住しますが、その数年後最愛の妻の急死は彼のその後の作風に多大な影響を与えています。それまで彼の絵の中には常にその妻、ベラへの想いが描かれていました。その幸せ溢れる絵が描けなくなります。あまりのショックに暫くの間筆を持つこともままならず、やっと描いた絵も色が暗く悲しみに暮れているシャガールの心情が見てわかる程です。時間の流れとともに再び彼の絵に色彩がよみがえる訳ですが、彼は聖書を題材にした作品を精力的にやっていたようです。あまり知られていませんが、彼の聖書シリーズには版画作品も存在しています。それはモノクロの版画で大きなキャンバスに色彩豊かに描かれた油絵、例えば「エッフェル塔の新郎新婦」等が有名ですが、それとは違った雰囲気の作風となっています。彼の才能は多義に渡っており石像彫刻も作り世に様々な作品を送り出しています。

1947年まで亡命していた彼ですが、1950年にはフランス国籍を取得しユダヤ人との再婚も果たしています。移住を強いられてきたシャガールがそこへやっと落ち着き、フランスで様々な作品を手がけ98歳の生涯を閉じるのです。聖書にあまりなじみ無い日本人の我々であっても彼の作品からは様々な想いを読み取ることができるのは、彼の生い立ちとその純粋な愛の形が絵に現れているからではないでしょうか?

文:Yuina Yamakawa

幻想的な作風とシニカルな視点

シャガールといえば、幻想的で柔らかい色彩の絵を思い浮かべる人が多いと思います。作品の中にも、愛や結婚をテーマにしたものが多いことから、彼自身も愛の画家と呼ばれていました。しかし、一見幻想的で柔らかく暖かい色彩の絵画を眺めていると、独特のシニカルな視点に気付かされます。実際、シャガール自身も毒舌家として知られ、当時の芸術に対する独自の考えを強く持ち、同時代に活躍していた画家たちに批判を浴びせることもあったようです。
サーカスを好んで絵のモチーフとして使うことが多かったシャガールの絵には、華やかさの裏のもの悲しさが同時に表されているように思います。柔らかく、色彩豊かで幻想的な絵画が作風ですが、その中でも青を基調とした作品が多く、どこか物悲しさや辛辣さが感じ取れます。また、シャガールの代表作には宗教や聖書の物語をモチーフにした作品も多く、彼の宗教的思想もかいま見ることができます。代表作である「七本指の自画像」について、シャガールは、幻想的な要素を強調するために自身の指を七本に描いたと主張していますが、現実をありのままに描くことよりも、幻想的な要素を与えるほうが、人々の心により深く働きかけることを知っていたからだと思います。

文:あやぱみゅ

「愛の記念日」に憧れて

以前アパートの隣部屋に住んでいたフリーランスでテキスタイルデザイナーをしている友人とよくアートについていろんな話しをした。印象派にそれほど興味はないとか、抽象画はよくわからないけどこの小さな絵の中にもの凄い奥行きの世界観を感じさせるところはやっぱり凄いとか。アーティストの背景についても、ふたりでえっそんなところにフォーカスする?っていうような事も楽しくて。例えばゴッホが認められたのは何百年も経ってからで、弟のテオが面倒見てて、生前はダメな人でも才能のある人にはパトロンが絶体必要とか。エゴン・シーレの素描にすごく惹かれるけど、幼女マニアだというところばかりを世間は批判していて「ちがうッなんでそこばかり注目するんだろう」とか。アーティストの背景とそれがアートに現れる面白さをよく話しました。アートに心惹かれる時、私達はたぶん絵画の背景にあるなにかを感じとっているのではないかと思うのです。
その頃シャガール展やアニヴェルセル表参道のシャガールコレクションがあり拝観料500円で何度も見に行った事を話すと、友人は私によくこう言いました。「世界観に魅せられていて、アートを引き寄せているんじゃないか」って。

文:まやにゃん

印象的な場所での思い出のシャガール

どんな場所でその作品に出会うかはまるで人との出会いに似ていると思いませんか?好きな作家の作品は必ずしも美術館でなくては、というわけではありません。多く作品を残しているアーティストだとコレクションを個人所蔵しているコレクターも数多くいると思います。それを一般に素敵なプレゼンテーションのしかたで公開しているのはいつも思いますがとても貴重で素敵な事だと思います。どんな場所にそのアートに出会うか…すごく印象に残るシーンになることもあると思います。
私がシャガールの作品に出会ったのはもちろん大きな美術展を美術館で見た事もありますがすごく印象的だったのはウェディングの関係の建物の中でものすごく多くの作品をコレクションしているコレクターのものでした。大きな会社の経営者のコレクションでしたがシャガールの代表作のような大作を多く所有していてそれをとても夢のある場所で公開されているのが私にとってはラッキーな出会いだったと思います。マリーローランサンの絵画とともにシャガールのコレクターでもあった洋館レストランのオーナーさんとおなじく感動的なアートとその場所のシーンが思い出とともに印象に残る事はとても素敵な経験だと思います♪

文:まやにゃん

マルク・シャガールの作品紹介

異国で募った故郷への想い「私と村」

「当時、芸術の太陽はパリにしか輝いていなかった―」
シャガールが晩年、自分の青年時代を振り返って残した言葉です。
シャガールは1900年代、パリを中心に活躍した画家でした。
といっても、出身はロシア。
ロシアに住むユダヤ人で、ユダヤ人の村で育ちました。
ロシアの美術学校で学び、20代前半には画家として作品も売れていました。
しかし、シャガールは満足できません。
当時のロシア美術にもパリで発生したキュピズムやフォービズムが流行っていました。
しかし、ロシア流に変化してしまっていたことに、もっと言えばロシアの芸術は遅れていることに気付いていたのです。
心から愛するふるさとであり、最愛の婚約者がいる場所、ロシア。
それでもシャガールは当時の芸術の中心、パリへの思いを募らせます。
やがて、奨学金を得てパリへ。
23歳の若い画家は、貪欲に様々な技法を吸収し、独自の画風を確立させます。
現在、私達がシャガールと聞いて思い浮かべるあの幻想的な作風と美しい色彩は、パリへ来て開花させたものだったのです。
しかし、シャガールはモンマルトルもエッフェル塔もほとんど描きませんでした。
描いたのは、故郷ロシアの思い出ばかり。

幻想的と言われるシャガールの絵画ですが、シャガールがロシアで使っていた言葉(イディッシュという特殊な言語でした)では「家を飛び越えて」「私の体が逆さまになった」などの言い回しが多く見られました。
母国ではユダヤ人ということで差別もありました。
しかし、というよりはだからこそ、自分達が身を寄せ合って暮らした村は大切な思い出。
その村でだけ使われていた言葉を、キャンバスに留めたのです。
パリで新しい芸術に触れ、見事にその才能を開花させたシャガール。
しかし、心はいつも愛するふるさとにあったのでした。

文:小椋 恵

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