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ルネ・マグリット

ルネ・マグリットのここがすごい!

マグリットは絵の中で思考する

ルネ・マグリットで思い浮かぶ絵はたくさんあると思います。それくらいたくさんの作品が世界中の美術館に所蔵されています。
2015年に行われたマグリット展に行った方も多いかと思います。

そこで紹介された「美しい虜」、「人間の条件」、「野の鍵」、この三つは普段別々の美術館に所蔵されていますが、企画展で集められたことによって、風景をキャンバスに切り取る「美しい虜」、風景をキャンバスに描いて室内に持ち込む「人間の条件」、風景を描いた窓を割りその先の風景が見える「野の鍵」と、マグリットの三段階の思考が見えてきます。また遠くにあったキャンバスが近づいてきて、最後には割ってその向こうに広がる世界に飛び出していく、そんな一連の物語もまた見えてくるようです。

そしてもう一つ、葉っぱが一枚木のように立っている「空気の平原」と、葉を落とした木が遠目に見ると葉脈だけの葉に見える「絶対の探求」、この二つの作品も普段は別の場所に所蔵されていますが、二つ並べて展示されていることで、ちょうど対のようになっていることに気が付きます。葉だけでなく、背景も雲間から注ぐ昼の日の光と、かたや雲一つない夕暮れでこれもまた対になっています。

キュレイターの方が、いかにマグリットの作品を魅力的に見せようかというのが伝わってきます。そして、本来はばらばらに所蔵されている作品も企画展をすることでこうして集まり、新しい発見があります。日本の美術館の企画展のいいところです。

文:クロエ

ルネ・マグリットの作品紹介

飛べるようでいて不自由なとり『大家族』

『大家族』という絵画のタイトルを聞いて、多くの人は何を思い浮かべるでしょうか?
ルネ・マグリットの大家族という作品は、その多くの人の予想をはるかに裏切る作品でしょう。
曇天模様の海の風景。その空は巨大な鳩の形に切り取られており、鳩の中だけが晴天である・・・
もともとシュールレアリスムという技法を取っている以上、大家族をそのまま描くことはあり得ません。とはいえ、このタイトルと作品はあまりに乖離していて見るものを戸惑わせます。
そしてこの戸惑いこそがマグリット魔術の一つなのでしょう。

マグリット作品の多くはタイトルと作品のイメージが一致しません。どうしてこのタイトルなのか?と多くの人は戸惑うことでしょう。それに対してマグリットは答えます。
『作品とタイトルに関連性を考えてほしくはない。』
しかしながら、あえて考えてほしくはない、という発言をしたことそれ自体が、深い意味を持ちます。本当に人を戸惑わせて喜ぶだけの画家であったなら、このような発言はなかったでしょう。

この大家族という作品をよく見ると画面のほぼ全体を覆う鳩のシルエットが、実は飛び立てていないことに気づかされます。
大きく翼を広げた鳩でありながら、その尾は海につながっており、母なる海から飛び立とうとして飛び立てないでいるのです。
しかし、その鳩は曇り空のなか、青空をのぞかせている―この矛盾。

この、青空に象徴される爽やかさ、心地良さは家族の居心地の良さ。しかし母なる海にとらえられて自由に空を飛ぶことができない不自由さもまた家族にはあるものです。
この、家族という存在の矛盾を見事にイメージで表した作品こそが、この『大家族』なのでしょう。
しかしながらそのような理屈抜きに、この絵の前に立った時はただただ、その作品の美しさを味わって欲しいとも思っています。

文:小椋 恵

見えないものを描くルネ・マグリットの世界

ルネ・マグリット。マグリットもシュールという言葉がぴったりのアーティストです。見えるものと、見えないものの組み合わせ、目の錯覚を描いたような絵が印象的です。でもその見えるものというのは、本当に人間が見ているのだろうか?そんな哲学的な思想を彼の絵から垣間見ることが出来ます。私がマグリットの作品に出会ったのは、チューリッヒ美術展の展示で「9月16日」という題名がついた絵です。木の後ろにあって見えるはずのない三日月が木に穴をあけたたように見えている作品です。これもまた、しばらくその絵の前から動けずにしばらく見入ってしまった作品です。また、「偽りの鏡」では大きな目玉が描かれていて、白目の部分が青空になっています。このマグリットが描く空も好きです。本当に自分の目には青空が映っているのだろうか?存在するというのはどういうことなのだろうか?考えさせられる絵です。この思想は美術の世界でだけではなく、アインシュタインやデカルトも同じような発想をしています。アインシュタインの「月は見てないときに存在していないのか?」という言葉、デカルトの「我思う故に我あり」そしてルネ・マグリットの「偽りの鏡」天才の思想には何か共通したものを感じます。 シュールな作品の裏に見え隠れするルネ・マグリットの哲学、すべて含めてのアートが大好きです。

文:ビッケ

静かな狂気に感じる不気味さと憧れ

マグリットはジョルジョ・デ・キリコ、サルバドール・ダリと同じシュルレアリズムの画家です。
彼の作品の一つである「短刀で刺された継続時間」は暖炉から機関車が出てくるという現実にはあり得ないシチュエーションで書かれています。マグリットの他の作品に比べて、この作品や「不許複製」という作品を見る時だけは実際にその場にいるかのような感覚を覚えます。どこにでもあるありふれた部屋だからでしょう。
しかしありふれた空間の中で静かに現実ではないことが起こっていて、その違和感を観察してしまいます。日常の暖炉から出てくるありえない機関車に釘付けになってしまうのは、鑑賞者自身の無意識の中に眠る何かに機関車を当てはめてしまうからです。機関車の形はしているけれども、観る者によって機関車が何であるか変わってくるかなり自由な鑑賞が許される作品です。
幻覚のような狂気に満ちた世界でありながら、なぜかそれを冷静に見つめてしまうのは、そのような世界への憧れもあるのかもしれません。

マグリット自身も、普通の人と変わらない、芸術家らしくない姿の私生活を送っていたと言われています。普通の人のように生きる一方で、自分の内面の狂気に目を向け、静かで客観的な視点で絵を描いたのかもしれません。

文:あめ

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